国鉄座席予約システム MARS 101
1959年に試作された旧国鉄の座席予約システム、「MARS 1」を経て、全国をリアルタイムで結ぶMARS 101が製造された。これはそのコンソールとマンマシン・インターフェス部分。ハンコ操作の電子化という、一見矛盾するようなインターフェスを実現させた、特異な例と言える!


■国立科学博物館のレトロコンピュータ (2006/01/28)

 「コンピュータが計算機と呼ばれた時代」「THE COMPUTER 写真で見る歴史」等を見ていたら、どうしてもハードワイヤードの計算機を見てみたくなった。コンピュータでは無く「計算機」を、である。そこで、国立科学博物館に行ってくる。ここまで来ると病膏肓、ほとんどビョーキだ・・・
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 東京、上野にある国立科学博物館は、2004年7月に開催された「テレビゲームとデジタル科学」展を見に行って以来、久しぶりの訪問だ。現在、旧館は改装工事の真っ最中であり、新規設計されオープンした新館での展示となる。入館料は大人500円。性格的に博物館の類は大好きなのである・・・
ヽ(´▽`)ノ

 今回お目当てのレトロコンピュータは、新館の2階、「科学と技術の歩み ―私たちは考え、手を使い、創ってきた―」のコーナーに展示されている。同博物館の収蔵庫には、おそらくたくさんのレトロコンピュータが所蔵されているのだろうが、一般展示されているのは、旧国鉄のMARS 101、富士写真フィルムのFUJIC、それと電気試験所のETL MarkIIの3台だ。たった3台といっても、各々は極めて巨大であるため、迫力がある。

 MARS 101は、日立製作所が旧国鉄の座席予約システムのために製造したもので、中央演算処理装置にHITAC 3030を使用したものだった。今見ると、ハンコを使用したマン・マシン・インターフェスが極めて異様に写るが、現場主義の当時としては、これが最善の方法だったそうである。資料によれば、HITAC 3030は1語40ビット、4096語の磁心記憶装置を持ったシステムで、リアルタイム処理ができたコンピュータだった。

 その隣に置いてある、国産初の真空管式計算機、FUJICは、パネル一面に真空管を配置した巨大なマシンである。使用された真空管は1,700本とのこと。すべて剥き出しになっているので、メンテナンス性は良いとは言え、これだけの本数となると発熱がすごそうである。FUJICは、入出力装置も極めてユニークなもので、出力装置は機械式タイプライターのキーをワイヤーで引っ張って印字する方法だった。周辺機器もL-ZONEか何かに出てきそうなほどレトロな外観だ。特に「監視装置」と書かれた丸形ブラウン管では、何をどのようにして監視していたのか、興味が持たれるところである。
( ̄〜 ̄)

 電気試験所のリレー式計算機、ETL MarkIIは、操作パネルが「美しい!」。三面鏡のように配置されたコンソールに、整然とランプが並んでいる様子は、これぞ60年代SF映画といった雰囲気である。1955年の完成当時、世界最速の処理スピードを実現した計算機だったそうで、その秘訣は非同期方式を採用したことにあったそうだ。博物館の天井に届くくらいの高さがあるラックに、無数の電磁リレーが配置されているが、これはごく一部であり、実際には200平方メートルほどの設置スペースが必要だったそうである。
ヽ(`Д´) ノ

 この階には、レトロコンピュータの他にも、Casioの初期リレー式計算機 14-A型や、ビジコム社の4004 CPUを使用した計算機、日本最初のテレビジョンシステム、零戦から、人工衛星に至るまで、科学技術分野での様々な発明品が展示されており、飽きさせない。レトロ計算機では、これ以外にも、国産初の大型計算機 HITAC 5020や東京大学のパラメトロン計算機 PC-2等が所蔵されているようだが、一般展示はされていないようだ。なお、WEB上では、社団法人情報処理学会が、コンピュータ博物館を公開している。


MARS 101 インターフェス部分
当時の国鉄では、現場主義が貫かれていたそうだ。そのため、インターフェス部分は、ハンコという、極めて奇異な形となっている。手前に置かれた時刻表が、懐かしい。。。

MARS 101 コンソール部分
中央処理装置には、日立製作所製造のHITAC 3030が使用されていたということだ。

国産初の真空管式計算機、FUJIC
日本最初のコンピュータ、FUJICは、1956年3月に稼働している。設計は、富士写真フィルムの岡崎文次ひとりの手によるとされる。1,700本もの真空管を配置したパネルは圧巻!!!

FUJICの出力端末
極めて独創的なアイデアであった、FUJICの出力端末。下部にリレー装置があり、これがワイヤーでタイプライターのキーを引っ張って印字したとのこと。そのアイデアたるや、恐るべし!!!画面左側奥にある、ランプが並んだ装置は、イマイチ不明。。。

FUJICのカードリーダー
画面左側がカードリーダー。右側が監視装置。いずれも、いにしえのインタラクティブ・ゲーム、「L-ZONE」かなんかに出てきそうな形状だ。カードリーダは、パンチカードの孔を光学的に読み取って、それをガラス棒を介して受光部まで誘導していたという、これもまたアイデアものの装置だったそうだ。

FUJICの正面パネル
整然と並んだ真空管の列が、異様な迫力である。画面に見えている部分は、展示されている真空管の約1/4。GT管あり、ST管あり、MT管あり・・・

FUJICの真空管のアップ
全ての真空管が剥き出しになっているので、メンテナンス性は良いと言えるだろう。シャーシには列番号が記入されている。

FUJICの水銀遅延線記憶装置
FUJICに使用されていた、長さ60cmの水銀遅延線記憶装置。この装置を用い、FUJICでは255語を記憶できたと言われている。

リレー式計算機 ETL MarkII
電気試験所にて1955年に製造された、非同期方式計算機「ETL MarkII」。非同期方式を採用することにより、当時のリレー式計算機としては、最高速度を実現したそうである。制御卓の上部には、天井に届くほど高く程の高さまでリレー装置ユニットがそびえ立っているが、これだけでもほんの一部分なのだそうだ。実際の設置面積は200平方メートルにも及んだとのこと・・・

リレー式計算機 ETL MarkIIの制御卓 #1
3つの部分から構成される、メカメカしいETL MarkIIの制御卓。色といいデザインといい、工業製品の極みである。レジスターのような押しボタンスイッチ群、パネルに整然と並んだランプ、制御卓上部に設置された蛍光灯・・・どれをとっても、「美しい!」。はぁ、はぁ。。。

リレー式計算機 ETL MarkIIの制御卓 #2
制御卓のアップ。いやもう、メカフェチにはたまりませんなぁ。。。全てメカだよ!全部メカ!!!

リレー式計算機 ETL MarkIIの制御卓 #3
制御卓に残る「Fujitsusin」のロゴ。ETL MarkIIは、本体を富士通信機製造、入出力装置を新興製作所が担当した。コンソールには富士通信機製造のロゴが残る。

リレー式計算機 ETL MarkIIのリレー群
コンソール上部にそびえ立つリレー群。ETL MarkIIには、S型、C型、G型の3種類のリレー装置が、猛烈な個数使用された。これらがカチカチと音を立てて動作する模様は、さぞかしうるさかったものと思われる。

CASIO 14-A型リレー式計算機
電卓マニアにとって垂涎の的となる製品が展示されている!カシオ計算機創業の機会、14-A型リレー式計算機だ。1957年製造のこの機械は、342個のリレーを使用し、14桁の加減置数演算、14桁の積算、12桁の割り算を実行する装置であった。外観は「事務机」そのものである!

CASIO 14-A型リレー式計算機の表示部
この製品の特徴は、テンキーを採用したことと、表示窓を1つに集約したことである。当時は、全ての桁に0〜9のキーが設けられた「フルキー」が一般的であった。同製品の詳細については、こちら。

ビジコム社製電卓
世界初のマイクロプロセッサとして有名な、4004 CPUを使用した、ビジコム社の電卓も展示されている。1971年(昭和46年)製造のもの。表示装置にはプリンターを使用している。

4004 CPU
おそらく、ビジコム社製電卓に使用されていたであろう基板に搭載された、世界初のCPU、intel 4004。


 ついでに一言。筆者もその昔、半田コテ片手にマイコンを自作したものだ。1983年頃だったと思うが、トランジスタ技術にZ-80マイコンを自作する連載が掲載され、マニアはこぞって秋葉原へ部品を買いに行った。この連載の特徴は、ステップ・バイ・ステップで、少しずつシステムをグレードアップしてゆくところであった。最初はCPU基板に俗称「パチパチ・スイッチ」と呼ばれる入出力装置を接続し、IPLを1ステップずつ入力する。次にテンキーマトリクスと7セグLED表示装置を導入、次にI/Oデバイスを増設して、キーボードとCRTディスプレイを接続、さらにBASIC ROMを搭載する、といった具合である。

 押入の中には、当時作成した「パチパチ・スイッチ」と「テンキー」が、まだ眠っていた。特に「パチパチ・スイッチ」は、今となっては化石であろう。8ビットとのデータ、16ビットのアドレスを、ひとつひとつトグルスイッチで設定しては、メモリに蓄積して行く装置である。データの確認は、それぞれのビット毎に割り振られたLEDにより、二進数パターンで表示する。何とも気長なハナシである。古(いにしえ)のALTAIL 8800コンピュータや、IMSAI 8080のような感じのシロモノだ。「パチパチ・スイッチ」は、構造は単純であるが、使い勝手は鬼のように悪く、テンキーと7セグLEDが付いた時にはホっとしたものである・・・


Z-80自作マイコンの際に作成した、通称「パチパチ・スイッチ」。
16ビットのアドレスバスと、8ビットのデータバスを直接制御するという、化石もののインターフェス装置である。見てくれもタイヘンなモノだが、作るのもタイヘン、操作するのもタイヘンといったシロモノであった・・・

Z-80自作マイコンの際に作成した、テンキーユニット。
パチパチ・スイッチのタイヘンさを経験した後では、このテンキーユニットだけでも猛烈に有り難かった。何せ、二進数パターンに直さなくても、16進数で入力できるのだ!カンドーモンの入力装置だったのである。


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