■俺とPsion (2005/08/04) 上の写真は、PC WAVE誌1995年10月号の「波多利朗のFunky Goods」に掲載されたものだ。当時の筆者のパームトップコレクションが写っている。Instant Tech PTV-30やLexicomp LC-8620等、濃いマシンも納められているが、PsionはわずかにSeries 3と3aのみだ。当時はまだ、それほどPsion製品を収集していなかった。波多利朗も青くてぬるかった時代である。この写真には写って無いが、当時所有していたPsion製品としては、Workabout、Siena、そして3の教育用途向けカスタム製品であるAcorn Pocket Book程度と、実にカワイイものだった。 その後、柴隠上人 稀瑠冥閭守 (Kerberos)氏と共に、狂ったようにPsionを集め始めることになる。「狂ったように」と書いたが、これはむしろ控えめな表現で、実際「狂って」いたと言っても過言では無い。1995年当時、Psion製品は、Series 3aと言えども、まだコアなマニアの間で持てはやされていたカルトマシンであり、一般の人が目にするような製品では無かった。その後、1997年にSeries 5が発売され、そのデザインとキーボードがせり出すギミックが話題となり、健康で文化的な生活を送られている一般市民の間でもブレイクすることになる。
実は、筆者も柴隠上人 稀瑠冥閭守 (Kerberos)氏も、Series 5以降のPsionには興味が無い。その理由であるが、メジャーになりすぎてしまったこと、GUIがWin CEライクになってしまったこと、そしてプログラム環境が複雑になり過ぎ、見通しが悪くなってしまったからである。というわけで、初期Psion、アーリーPsion、濃い系Psionを求め、時代をひたすら逆行する旅に出たのである。あれからもう10年経過した。今は落ち着いてしまっている。氏も筆者も、周辺機器を含め、もうこれ以上無いくらい集めまくり、行き着く所まで行ってしまったのだ。。。まさに彼岸の境地、「逝って良し!」といったところだろうか?
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教育用途用Psion、Acorn Pocket Book 見た目はPsion Series 3とほとんど変わらず、僅かにロゴのみ異なっている。また、内蔵アプリも若干手を加えられている。滅多に出て来ないレアな異種Psion。 |
Psion Workabout PC WAVE誌上でも取り上げたPsionの有名な業務用端末。Workaboutには、前期型と後期型(Workabout mx)、そして数値キーパッド型といったバリエーションが存在する。現在でもワカバ株式会社が輸入・販売しているので、欲しい方はどうぞ! ヽ(´ー`)ノ |
超小型Psion、Siena 自己完結型プログラミング可能マシンとして、最小の大きさであるSiena。1995年当時でも希少性が高かった。残念ながら日本にはほとんど入っていないものと思われる。SSDスロットを廃してまで小型化したボディは、ある意味Psionの究極の姿とも言え、潔さを感じる。海外では、どっかのモノの価値がわからんショップが、閉店時の在庫処分品として、元箱デッドストック品をまとめて投げ売りしてたりするので、なかなか気が抜けない存在。 |
さて、柴隠上人 稀瑠冥閭守 (Kerberos)氏と筆者とのPsion探索の旅は、まずHCシリーズから始まった。Psion HCシリーズについては、本コラム4/21号「Psion HC120が4台也!!!ヽ(`Д´) ノ」でも取り上げたが、Workaboutが出る前の、初期型産業用Pionであった。その系列にはHC100、110、120と3種類が確認されており、それぞれ内蔵RAMの容量が異なる。最も良く見かけるのが110であるが、ついこの前、比較的レア度が高い後期型120が4台まとめて入手できたことは、コラムに掲載した通りである。このマシンはハッキリ言って変態で、EPOC OSを搭載しているのにもかかわらず、DOSのようなコマンドラインでプログラムを実行するという、Psionらしからぬ製品だった。因みに発売は1991年のことである。 そうこうするウチに、PasionにはNotebookシリーズがあったことを知ってしまう。これがMCシリーズだ。そこに異形Psionがあったという事実を知ってしまった以上、開拓せざるを得ないのが、運命というものだ。しかし、このMCシリーズの入手は困難を極めた。
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Psion HC110 Range Psion Workaboutが発売される前、1991年に発売された業務用Psionのハシリ、HC110である。HCには100、110、120の3種類が存在した。メモリにはSeries 3でお馴染みのSSDを2スロット分搭載。ダンベル代わりにもなる重厚長大Psionである。EPOC OSを搭載するも、DOSのようなコマンド・ドリヴンのI/Fを持つという辺り、変態的魅力も十二分に兼ね備えている。 |
Psionのモバイル・コンピュータ、MCシリーズには、200、400、そして600の3種類が存在した。シリーズ中、最も入手し易かったのが、販売台数も多かったMC400だ。1989年9月に発売されたこのマシンは、一応GUIを持つEpoc OSライクなモノを搭載していたが、Series 3以降の洗練されたI/Fでは無く、原始EPOCとも呼べるような荒削りな代物だった。さらに、ウインドウ関数等のライブラリの仕様が若干異なり、また致命的な点としてグラフィックコマンドの細部仕様の公開が不十分であったことから、自作プログラマには評判が悪かったマシンである。そんな中、日本語表示に異常とも思える執念を持つ柴隠上人 稀瑠冥閭守 (Kerberos)氏は、MC400の画面に(おそらく)世界で初めて日本語を表示することに成功する。 Psion MCシリーズは、ただでさえ、残存個体が少なすぎるので、代表格の400が入手できた時点で、実はもう「おなかいっぱい」の気分だったりした。しかし、その後MC600という、おそらくPsion製品史上最も販売台数が少ないと思われるモデルを、偶然入手することになる。
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Psion MC400 あの流麗なフォルムを持つSeries 3を作っていたPsion社も、嘗てはこのようなデカいノートパソコンみたいなマシンを製造していたのだった。Psionのモバイル・コンピュータ、MCシリーズである。これはMCシリーズの中でも、最も販売台数が多かったと思われるMC400。SSDスロットを4基内蔵(うち1基はブートOS専用)し、640×400 dotの白黒STN液晶を搭載した、立派な「ノート」である。 |
Psion MC600というマシンがなぜそれほどの希少性を持っているのかは、その仕様をご存じであれば理解できるかと思う。搭載OSに、ナント!あのMicrosoft(R)社製 MS-DOS(R) Version 3.22をROMで搭載していたのだ。因みにBIOSはAward社製の8088/86 BIOSで、もうここまで行くと、このマシンはIBM PC互換機そのものなのである。当然のことながら、一般的(?)に流通している謎ぱ〜機の日本語化手法を用いて、OSベースで日本語化も可能。もう、ワヤクチャ状態のマシンだったのだ。 マシン本体が8086ベースであり、80186以上の命令を解さないことから、FEPにはEGBridgeを使用、ビデオドライバには相性問題より"yadc"では無く、これまた超懐かしい"DISPC"を用いる、、、ってなことはどうでも良いのだが、何よりも重要なことは、あのPsion社が、よりにもよってMS-DOSマシンを作っていたという驚愕の事実なのであった・・・わかって下さいよ! 下に掲載した写真は、MC600上でVzエディタが動作しているところ。なんか、Psionのロゴが入ったマシン上で、「dir」とか「copy」とかといったコマンド打ち込むのも、妙な感じですなぁ・・・
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Psion MC600 大袈裟な表現を取るとすれば、まさに驚天動地の謎マシン。Psion MC600。墓場の中まで持って行きたいような、そんな素敵な感じのマシンなのである!こいつの凄さがわかんねえヤツは逝っちゃっていいよ、もう・・・ |
さあ、ここまで来ちゃうと、もう止まらない。。。最後に残されたMCシリーズである200を、それこそ血眼になって探す旅が始まる。ところが、今回という今回は、そう易々とは問屋が卸さない。何せMC200の画面サイズといったら、400や600で採用している640×400 dotのCGA画面では無く、640×200 dotと半分しか無い。しかも、液晶もSTNブルー液晶(Supertwist LCD)だ。発売時期は400や600と同じ1989年9月であるが、画面の小ささが災いしてか、市場にはほとんど出なかったと言われている、ツチノコみたいな幻のマシンなのである。
ところが世の中広いもので、このような希少種でも、時間をかけることでハケーンすることができたのには、正直驚いた。しかも、柴隠上人 稀瑠冥閭守 (Kerberos)氏により、日本語を表示させるところまで行っているのである。おそらく、MC200の画面上に漢字が表示されるのは、これが人類史上初めてのことであろう!しかし、内蔵RAM 128KBで良くやるよ・・・
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Psion MC200 他のMCシリーズと比較して、画面が小さいのですぐに違いがわかる、Psion MC200。良く見ると、この小さな画面上に、日本語が表示されているのがお判りかと思う。OSは原始EPOC。一部ライブラリが非公開であるということもあり、ソフト開発には大変しんどいマシンであった。 |
MCシリーズを制覇した後は、どうなるか?当然残された道はただ一つ、Organiserシリーズの制覇である!Organiserシリーズは古い。古すぎる。IIシリーズは1986年から88年にかけて、Iに至っては1984年にまで遡るのだ。取りあえず、IIシリーズより探索を開始した。Organiser IIシリーズには、全部で3種類(細かく分ければ4種類)が存在する。それぞれ、「CM」「XP」「LZ」そして「LZ64」となっている(LZ64をLZと同種と見なす分類法もあるが、ここでは分けてカウントしている。まあ、冥王星を太陽系の惑星と考えるかどうかみたいなモノですな。。。)比較的入手し易いのはModel XP。LZ64は、なかなかお目にかかることは無い。
ところで、困ったことが発生した。Organiser IIシリーズには、それこそ星の数ほどの周辺機器が存在したのだった。専用のプリンター、バーコードスキャナ、ドッキングステーションなどといったものはまだカワイイ方で、本コラム4/26号付けでも紹介した「Psion Datapak Copier Mk-III」などは、超絶技巧モンの珍奇周辺装置の筆頭である。そういった細々した機器も含め集めて行くと、これはもう八十八カ所巡り並の艱難辛苦を味わうことになる。さらに、柴隠上人 稀瑠冥閭守 (Kerberos)氏は、このOrganiser IIシリーズを溺愛する。その結果、筆者宅には集計不能の台数のOrganiser IIが溢れてしまうことになった。その上、Organiser IIには、産業用途に特化したPOSシリーズというものも存在する。これらも合わせると、製造された本体、周辺機器の種類は、かなりの数に上る。正直申しまして、ワタシゃもう見たくありませぬ。。。 さて、柴隠上人 稀瑠冥閭守 (Kerberos)氏は、Organiser II上で動作する世界初の日本語テキストエディタ、自称「俳句パッド」なるものを制作してしまう。これが他のマシンだったならば、まだワカランでも無いっ・・・ていうか、それでもわけワカラン世界なのだが、RAM 32KB、表示16文字×2行、当然漢字フォント無しといったマシン環境で、漢字入力・変換・表示を可能にするという離れ業をやってのけたのは、ある意味不条理の世界を通り越している。まあ、文句無しに人類史上初の快挙でしょう。。。本件については、予定ではモバイルプレス誌に紹介することになっていたのだが、同誌が突然の休刊になってしまい、未だ実現できていない。そのうち、本HPに詳細を掲載する予定である。
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集結したOrganiser II(のごく一部) 技術評論社の「モバイルプレス誌」掲載用に撮影した一コマ。15台のOrganiser IIが写っているが、これ以上並べるとグラディエーション・ペーパー内に収まり切れないので、入れなかっただけのことだ。。。インベントリー不能な在庫量といっても差し支えないであろう。 |
Model XPで動作する日本語エディタ「俳句パッド」の起動画面 Psion Organiser II XP上で動作する、世界でただ一つの日本語エディタ、「俳句パッド」の起動画面。いわゆる謎ぱ〜機の日本語化計画も、ここまでくると常人には理解でない世界に突入してくる! |
Model XPで動作する日本語エディタ「俳句パッド」の入力画面 漢字は左右二分割されて表示する仕組み。これはOrganiser IIのプァーな液晶画面に漢字を表示するためにはどうするか?柴隠上人 稀瑠冥閭守 (Kerberos)氏は、空前絶後のテクニックを持って、この難問に回答した。それがこの、漢字二分割表示法というワケだ!正に「そこに端末があれば、日本語を表示する」と言われるだけの変人である! ヽ(`Д´) ノ |
で、最後にたどり着いたところが、Organiser Oneだった。1984年というから、現時点(2005年)から21年も前に製造された、このPsion社最初の記念すべきモデルは、Organiser IIと全く異なり、市場にも滅多に出て来ない。造りもデザインもOrganiser IIとは比べモノにならないくらいしっかりと出来ている。当時のPsion製品には、その後のモデルに必ず記載される、あの独特のロゴとマーク(カップ&ソーサー)すら見受けられない。 CPUには、日立製HD6301を0.92MHzで駆動。メモリはたったの2KBしか無かった。液晶も16文字×1行の英数字表示のみと超シンプルだ。これがPsionの原点だったのだ。1984年にこれだけの製品を世に出していたのだから、やはりPsionはスゴかったのだ!1984年って軽く言うけど、あのIBM PC/ATが発売された年なんだよね。その当時にあって、これだけエレガントなPDAを出した意義と功績は、計り知れないほど大きいものがある。
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Psion Organiser I Psionが1984年に最初に出したPDA、Organiser One。その後のOrganiser IIと比較すると、ボタンの造形、デザイン、配色等、格段に品質が高い。日立の石を0.92MHzで回すという仕様も渋い!Psionの原点である。 |
Psion Organiser Iにも、IIほどでは無いにしろ、周辺機器やアプリケーションソフトが発売されていた。一説によると本体以上に貴重だとされているのが、PCと本体とを接続する「THE ORGNISER LINK-UP PACK」である。今風に言えば、PCとの接続を行うためのUSBケーブルのような機能を果たすが、その余りに手作り的な外観は、レトロを通り越してノスタルジーすら感じ取ることができる。 そして、最後に紹介するのが、この「SCIENCE PACK」と「UTILITY PACK」だ。どちらもOrganiser One専用に発売されたアプリケーションソフトである。ネットダウンロードはもちろん、CD-ROMも存在していなかった当時、FDすら貴重品であった。そうした環境で、PsionはData Packという形状でアプリケーションソフトウエアを提供していた。その中身はと言えば、2732や2716といった汎用のEPROMにソフトウエアを書き込み、専用インターフェスを搭載した基板上にマウントしてパッケージングしたという原始的なものであった。
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THE ORGNISER LINK-UP PACK ある意味Organiser I 本体よりも貴重とも言える周辺機器、Link-Up Packである。なんか、実験室かどこかで手作りされた試作品のような外観。レトロというか素朴というか。。。癒し系周辺装置?(どこがぢゃ!)。これは出ない。まず出ない。というか、残存していたこと自体、奇跡的だ! ヽ(`Д´) ノ |
THE ORGANISER SCIENCE PACK 16KByteのメモリの中に、SIN、COS、TAN、EXPといった科学技術系関数ライブラリが入っている。このパックを本体裏面のスロットに装着するだけで、即使用可能という便利なもの。1984年製造。Organiser One用。新品、元箱付きのデッド品であった。 |
THE ORGANISER UTILITY PACK こちらは、SIN、COSといった科学技術系コマンドの他に、データパックを丸ごとコピーするような便利系ユーティリティーも格納されている。メモリ容量はおそらく16KByte。1984年製造。 |
というわけで、10年に及ぶアーリーPsion、濃い系Psion、原始Psionを巡る探索の旅は終わった。最も、ヨーロッパを中心にあれだけの期間、端末を製造し続けていたPsion社のこと、まだお目にかかっていない周辺機器、端末もあるかもしれない。それはそれで楽しみと言うものだ。 筆者が社会人になり始めた時、4ビットシングルチップマイコンがようやく家電製品に入り始めた頃であり、開発はコンカレントCM/P 86が動作する8086ベースのWS上で、当然のことながらマシン語で行っていた。利用できるRAM領域は4KB、8KB、良くて16KB。利用可能なROM領域も同程度だ。そのような極限的なメモリ空間で、いかに多くの機能を効率的に入れ込むのかが、ある意味職人技でもあったのだ。割り込みのネストを慎重に検証し、スタック領域を1バイトでも少なく取ることはもちろん、プログラムを短く収めるための裏技は、それこそ感・経験・度胸のKKDの世界であった。そうした経験もあり、Psion Orgasniser IやIIは、現在のマシンには無い親近感を感じる。湯水のごとくメモリを使い、当然のようにCPUパワーを要求し、呪文のようなライブラリ関数を召喚する現代のプログラミングは、筆者にとって、到底理解できない世界なのである。 合掌!
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