同潤会三ノ輪アパートメント(2003年01月) |
同潤会三ノ輪アパートメント外観 二棟あるアパートの南側から撮影。 |
同潤会アパートメントについては、各種メディアやWEB等で多数取り上げられているので、ここで改めて解説する必要も無いであろう。本コーナーにおいても、「同潤会鶯谷アパートメント(1999年01月)」や、「同潤会青山アパートメント(2002年12月)」で取り上げている。同潤会とは、関東大震災の時、国内外から集まった義損金の一部を元に、1924年(大正13年)内務省内部に作られた財団法人である。同財団法人は、東京と横浜に16棟のコンクリート製集合住宅を建設したが、三ノ輪アパートメントもこのうちのひとつである。三ノ輪アパートメントは、1928年(昭和3年)6月竣工となっているので、取材当時(2003年01月)の時点で、実に75年も経過していることになる。構成は、4階建の棟が2つと、たいへんこぢんまりとした佇まいだった。その後、2006年に解体が開始され、現在は再開発中である。 ここに掲載した写真は、2003年1月17日に訪れた際のものだ。JR常磐線三河島駅で下車し、徒歩で現地を目指したのだが、目的地は住宅密集地の中なので、到達するまで何度も迷った覚えがある。現地には午後3時過ぎにようやく入る。冬の日は短い。天気は快晴だったが、陽は既に暮れつつあり、撮影コンディションとしては余り良くは無かった。数枚のカットは、コントラストがきつすぎて若干見づらい。なお、撮影に使用したカメラは、KodakのDC-4800(3Mピクセル)である。
訪問当時、まだ居住者がいたものの、空き部屋も多かった。建物内部もひっそりと静まりかえっており、住人には一人も出会うことが無かった。同潤会アパートメントはいくつか見てきたが、ここ三ノ輪アパートも、基本的なデザイン、構造は同じである。特徴的な点は、敷地入口左側にトイレ専用棟があることと、中庭に手洗い場がある点だろう。建物の外壁は、同潤会アパートメントの特徴となっているリシン掻き落としだが、表面が剥離し鉄筋が剥き出しになってしまった部分も多かった。保存を望む声も多々あったようだが、耐震性、メンテナンス費用、立地の良さ等から実現できなかったものと思われる。 |
同潤会三ノ輪アパートメント外観 アパート敷地入口付近から、2棟を望む。 |
同潤会三ノ輪アパートメント外観 アパート敷地北側から撮影。 |
同潤会三ノ輪アパートメント北面 アパートの裏側にあたる。階段シャフトの壁面には、大きな剥離が見える。 |
同潤会三ノ輪アパートメント北面 階段シャフト両側の凸部分は、おそらくダストシュートのシャフトと思われるが、詳細は不明。 |
同潤会三ノ輪アパートメント北面全景 壁面の剥離が目立つ。アパートそのものは、かなりこぢんまりしている。 |
アパート外壁 北側の棟の屋上から、南側の棟を見たところ。壁面角部分の痛みが激しい。 |
アパート屋上 コントラストがきつくて若干見にくいが、南側棟屋上から北側棟を見たところ。アパートの配置は、中庭を挟んで「二」の字のように2つの棟が並んでいる。 |
アパート屋上 他の同潤会アパート同様、三ノ輪アパートの屋上も雑多な物でいっぱいだった。屋上へ通じる階段室が中央に見える。 |
階段室 ここも半ば物置として使用されていた。 |
玄関ドア 同潤会のアパートに共通して見受けられる配置。2つの玄関が隣り合って配置されている。この写真では2つの扉は平面状に並んでいるが、他の同潤会アパートでは、角度を付けて配置している所もあった。 |
玄関ドア 新旧の玄関ドアの対比。 |
階段室の内部 これも同潤会アパートメントに共通したデザインのもの。写真ではかなり広く見えるが、実際は天井が低く、とても窮屈に感じる。 |
中庭 屋上から2つの棟の間にある中庭を見たところ。左側下にある建物は、共用の洗い場。 |
階段踊り場 |
共用の洗い場 両側に流しが並んでいる。住民のコミュニケーションの場であったのだろう。 |
共用の洗い場 流し台をアップで。中はかなり暗い。 |
共用の流し ここだけ一台ポツンと流しが置かれていた。タイル貼りのレトロなものだ。注意書きには、「排水管が詰まりますから芥や有形物を流さぬよう目篭に入れてください。各位」とある。 |
共用のトイレ 敷地入口左側にある建物は、共用のトイレだった。なお、各部屋にトイレが付いていたのかどうかは不明。おそらく無かった可能性が高い。 |
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