リストマーク 同潤会鶯谷アパートメント(1999年01月)

写真1.同潤会鶯谷アパートメント正面外観


 同潤会とは、関東大震災の時、国内外から集まった義損金の一部を元に、1924年(大正13年)内務省内部に作られた財団法人である。震災復興を目的とし、罹災者のための仮設住宅や木造建築を設立し、さらに東京・横浜住民のために、16にも及ぶ鉄筋コンクリート造りの集合住宅を建設した。

 同潤会アパートと呼ばれるこの集合住宅は、素材が鉄筋コンクリートであることや、電気・ガス・水道・ダストシュート・水洗便所といった、当時としては近代的な設備を持っていたことが特徴であった。

 同潤会鶯谷アパートは、JR鶯谷駅の近く、尾久橋通り沿いに面して建っていた。番地では、東京都荒川区東日暮里五丁目にあたる。現在は取り壊されてしまい、高層ビルが建っているはずだ。鶯谷アパートは、同潤会アパートの中では9番目に建設されたものであり、竣工は昭和4年となっている。アパートの敷地面積は815坪。この中に、三階建てのアパートが3棟建っていた。1つは「I」の字型であり、残りの2棟は「コ」の字型をしている。戸数は総計96戸であった。

 建物の外壁は、ざらざらした材質(これをリシン掻き落としの外壁と呼ぶそうである)を使用しており、トイレと玄関には特徴的な丸窓が取り付けられている。庇は曲線を描いており、全体的にこじんまりとした造りである。建物の間には、落ち着いた雰囲気の中庭があり、たくさんの樹木が植えられ、手入れも行き届いている。同潤会アパートの壁の厚さは25cmと言われており、今のマンションの15cmよりも厚くなっているため、遮音は予想以上に良いということだ。また床にコルクを敷いているのも、特徴のひとつとなっていた。

 同潤会鶯谷アパートは、1999年3月に取り壊しが開始された。取材した1999年1月10日には、すでに多くの住人が転出した後であり、残っている人も荷物の整理に追われていた。生活騒音が皆無の状態であり、アパート敷地内部は異様な静寂につつまれていた。
(参考文献:東京人 1999年2月号PP151-159)

Google Maps上での位置は、下記の通り。
同潤会鶯谷アパートメント

写真2.同潤会鶯谷アパートメント1階廊下
中庭からは数段上がったところにある1階廊下。右側に同潤会アパートメントの特徴である丸窓が見える。ドアの形状も他の同潤会アパートメントと似たような形。鉄が露出している部分は、どこもペンキが剥げ落ち、老朽化が甚だしい。


写真3.アパートメント中庭
アパート入口を正面にとらえて撮影した、アパートの中庭。正面に立っている街灯の柱は、昭和4年竣工当時のものと思われ、微妙な凹凸のデザインが施されていて美しい。広場全体は非常に狭いが、有効なコミュニティ空間になっていたものと思われる。実際座って眺めてみると、とても落ち着く雰囲気であった。なんとなくヨーロッパの古いアパートを連想させる。


写真4.アパートメント住居棟入り口
「コ」の字型をした住居棟の一階入り口。現代のアパートと比較すると、全体的に非常に小さい造りとなっており、階高も低い。そのため入り口も、若干かがんで入るような感じになる。扉の青ペンキは最近塗りなおしたもののようで、この部分だけ非常にカラフルであった。


写真5.同潤会鶯谷アパートメント正面 #1
尾久橋通りから撮影した鶯谷アパート正面上部。右から左へ、タイル貼りのレトロな文字で「鶯谷アパートメント」と描かれていた。


写真6.同潤会鶯谷アパートメント正面 #2
同潤会鶯谷アパートメント正面を、尾久橋通りから撮影したもの。コントラストが強くて暗くなってしまっているが、真中にアパート正面入り口がある。向かって右側の建物が「I」字型をした棟で、左側には「コ」の字をした建物が2棟並んでいた。


写真7.同潤会鶯谷アパートメント正面入り口
尾久橋通りに面したアパート正面入り口のゲート。レンガの柱に住所が記載されている。右側には、「I」字型の住居棟が見える。


写真8.アパートメント住居棟壁面
「コ」の字型住居棟のアールのついた角。鶯谷アパートメントの建築で特徴的なところが、この丸みを帯びた角である。左側には、階段室が見える。


写真9.アパートメント内部の住居ドア
玄関扉横に置かれた「森永ホモ牛乳」の木箱が懐かしい。階段室内部は、かなり暗いところもある。現在のマンションと比較すると、ドア小さく天井も低い。


写真10.アパートメント2階
写真1に示した1階廊下と、ほぼ同じ構造。住居棟には、内廊下の他に、このように外部に面した廊下もある。この部分はとても開放的で明るく、ベランダのような雰囲気になっている。手すりの部分には、金網がはられていた。「コ」の字型住居棟の3階部分を撮影したもの。右端には、別の「コ」の字型住居棟が見える。


写真11.ダストシュート
各階にはダストシュートが設けられていた。昔のアパートには必ずといっていいくらい、このダストシュートがあったものだ。鉄製の蓋を手前に開けて、ゴミを放り込む。


写真12.ごみ収集場
各階のダストシュートから投入されたごみは、一階の収集所に蓄積される。当時としては、合理的なシステムであった。


写真13.階段踊り場
階段室の内部なこのような感じになっている。天井が低いため、若干圧迫感がある。階段の段差は低い。


写真14.アパート屋上出口部分
「コ」の字型住居棟の屋上出口。ここには写っていないが、屋上出口には流し場が備えつけてある。同潤会アパートメントでは共通の構造となっている。


写真15.アパート屋上からの風景
「I」字型住居棟の屋上から他の2棟を眺めたところ。


写真16.階段踊り場からの眺め
3階踊り場から眺めた、向かい側住居棟の階段室。


写真17.アパートメント住居棟入り口
「I」の字型をした住居棟の一階階段入り口部分。入り口上部には、「第1階段」という表示が見える。階高は非常に低い。


写真18.アパートメント一階の出入り口
鶯谷アパートの一階には、直接中庭に出られる扉が設置されている。これは、一階に暮らす人の特権とも言えるものだ。この出入り口の形状は共通している。扉を正面に配置せず、ちょっと横にずらせて配置しているあたりに、ドアを開けても内部が丸見えにならないようにという配慮を感じさせる。


写真19.アパートメントの内廊下
鶯谷アパートには外廊下と内廊下があり、これは後者の写真。突き当たりの玄関扉の左側に、丸く穴のあいた壁が見えるが、これがちょっとしたデザイン上のアクセントとなっている。


写真20.鶯谷アパート裏通り
鶯谷アパートの裏側を通る道からアパートを眺める。裏通りへは、写真左手にかすかに見える小さな門をくぐって出るようになっている。




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