九段下ビル(2002年12月) |
九段下ビル【最終撮影】(2011年11月)はこちら |
ここに掲載した建築物は廃墟では無い。現在も店舗が入居し、現役として使用されている。しかし、外観はかなり荒れており、廃墟系建築物と見なすこともできる。この九段下ビルは、都内中心部にあるためかなり有名な建築物だ。聞くところによれば、このビルは1927年、南省吾の設計により建てられた。関東大震災の後、震災復興助成会社による復興計画の一部として建設されたものだそうである。同じく震災復興を目的として設立された同潤会と似た部分がある。
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九段下ビルは3階建て。入り口は靖国通りに面してビルの左右2箇所に設けられている。ビルの正面左側の裏は一部解体した跡が見受けられた。またビルの一部には、補修工事の際に良く見受けられるネットがかけられていた。おそらくメンテナンスのための補修工事が実施されているものと思われる。しかし、一階の一部テナントは転居しており、あるいは近日中に取り壊されるのかもしれない。
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建物の入り口は、そのまま階段室となっている。1階入り口の上には、「九段下ビル」とかかれた古風な看板が架かっている。実に趣のあるデザインだ。階段室は、靖国通りに面して、各階踊り場に窓が設けられている。作られた時代を反映し、階高は非常に低い。 ビル1階部分には現在もテナントが数軒入っているが、一番右側部分は店舗となっておらず、当時の構造を見ることができる。中央に出入り口があり、左右に窓が付いた設計になっている。
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ビル一階の正面入り口を入ると、すぐに上り階段がある。半分上った踊り場には、トイレのドアがある。そこを折り返し、さらに半分上ると2階に出る。建物の2階部分は踊り場両側に各部屋へ通じる出入り口が設けられており、アパートのような造りとなっている。また、靖国通りに面した壁には、窓が付いている。建物3階部分は様相が一変し、内廊下形式となっている。内廊下は建物全体を見通すことができ、かなり長い。 このビルは、一階が店舗で二階が店主の部屋、そして三階が一般の賃貸住宅になっているそうだ。三階部分には、居住者が共同で使用する流しがあった。建物内部は塗装も剥げて、かなり荒れ果てた感じを受ける。
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ビル三階にはちょっとすさまじいトイレがあった。入り口のドアは外れており、内部のタイルもところどころ剥げている。2つの個室があるが、照明は天井に裸電球が灯されているのみ。天井も一部剥がれ落ちており、ここで用を足すのはかなりの勇気が必要だ。 屋上への出入り口には、扉が無かった。周囲には建築部材や塗料の缶が散乱し、工事途中であることを示している。屋上に出ると、周囲の見慣れた風景にほっとする。屋上には、衛星放送用のパラボラが置かれていたり、三輪車が放置されており、生活感がある。都会の真ん中で、このような古い建築物が取り壊されもせず残っており、なおかつ実用として使用されているのは驚きである。しかし、既出竹平寮のように、ここもいつ壊されてしまうかわからない。モダニズム建築の記念碑として、是非整備して残してほしいものである。 |
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