■東北秘湯旅行記第二日目 (1999/08/02)

●1999年08月02日(月曜日)
 東北秘湯旅行第2日目。朝は7時に起床する。ここ福島屋の朝は比較的遅く、朝食は8時過ぎである。小谷温泉山田旅館と比較すると、非常にノンビリとしている。山田旅館は6時30分には強制的に起床で、7時に朝食、8時過ぎると宿泊客のほとんどは山登りに出かけていってしまうというすさまじさだからなぁ。

 食事の後、宿舎内部の撮影を行う。昨日は気が付かなかったのだが、この旅館は典型的な湯治場としても使用されており、宿泊棟の一部は通常の部屋と異なっている。通常の客が泊まる部分はキレイに整頓されているのだが、湯治ブロックは非常に雑多な感じなのだ。ここでは自分で炊事用具等を持ち込み、長期に渡って宿泊する人が生活している。部屋の広さは3畳間から6畳間程度。食器等を置く棚などが設けられている。朝見学に行ったところ、共同の炊事場では湯治客が思い思いに朝食を作っていた。印象としては、ちょうど卒論提出前の大学の研究室といった感じである。

宿屋をチェックアウトした後、旅館周辺の撮影を行う。ちなみに今回の宿泊料は一人11,000円であった。福島屋の敷地内には、古い神社もある。これがまた苔むしたところに建っており、歴史を感じさせる。川にかかる吊り橋は、上流にある大滝などを見学するためのハイキングコースの入り口となっている。この入り口には「熊に注意」という標識も見受けられた。





滑方温泉福島屋旅館の画像


 宿の撮影を終えてから、滑川温泉のさらに上流にある姥湯温泉を訪れてみることにした。姥湯温泉までの道は地図にもカーナビにも記載されていない。しかし、福島屋の近くにある入り口を見る限り車でも行けそうなので、入ってみることにした。

 ところが、姥湯温泉までの林道は予想以上にハードなものだった。まず、道の幅員が狭い。舗装されているところもあるが、ダートコース部分も多い。車の行き違いは待避所で行うが、この待避所も非常に狭い。

 林道に入ってしばらく行ったところ、オフロードカーと行き違いするため、坂道にある砂利の待避所にバックで入った。車をやり過ごして発進しようとしたところ、スタックして動かない。今回乗車したジェミニはFFであるが、前輪が砂利の上で完全に空回りしてしまっている。さて、どうしたものかと悩んだ末、少し段差があるがクルマを待避所の下の道路へ落とすことにした。

 状況を子細に検討してみると、クルマのハラを擦ることはあっても、乗り上げてしまうことは無いであろうと判断したのだ。少しずつゆっくりと後退していき、落差40cm程度のところを恐る恐る下る。途中、左後輪と右前輪が同時に宙に浮いた。さすがにもうだめかと思ったが、次の瞬間、無事着地する。被害は、フロントフェンダー下部を砂利道に擦っただけで済んだ。しかし、一時は本当にもう動かないかとマジで心配した。場所が場所だけに、JAFを呼んだとしても1年くらい来そうにない。それどころか、電話ができるところまで、徒歩30分以上はかかりそうだ。

 スタックの窮地を脱すると、次に待ち構えていたのはナント!車のスイッチバックである。この林道には1ケ所だけだがスイッチバック方式で登らないと絶対登れない坂がある。一見普通のS字斜面のように見えるのであるが、看板が立っており「絶対直進で登らないように」との注意書きが出ている。ご丁寧なことに、登り方も記載されていた。このスイッチバックに差し掛かったところで、丁度行き違いとなってしまった。前進→後退→前進という形で何とか急坂を上り切る。

 姥湯温泉に行く最後の難関は、直前の急な下り坂だ。道がダートで傾斜がキツイので、スピードを控えめにしないと恐い目にある。しかし、行きはまだ下りなので良いが、問題は帰りである。ダートで急な上り坂となるため、途中で止ると下手をすればまたスタックしてしまう。

 こうして、ファミリーカーで行くにはちと辛い林道を走ること約6kmで、ようやく姥湯温泉口である車返しに到着した。林道はここで終わっており、後は宿まで徒歩で行くことになる。



姥湯温泉桝形屋旅館画像


 姥湯温泉前の車返しには、大きな吊り橋がかかっていた。下は非常に狭くて深い渓谷となっている。この吊り橋からは、姥湯温泉桝形屋旅館の外観を見ることができる。宿までは徒歩で5分程度。ここまで山の中に入ってしまうと、登山道といった方が適しているような感じとなる。桝形屋旅館と吊り橋との間には物資輸送用のゴンドラが設けられてあった。これを見ても、いかに難所であるかがわかる。因みに、姥湯温泉の標高は1,200m程度。桝形屋旅館の規模は小さく、収容人数も20名以下である。そのため、8月中はすべて満杯となっていた。この旅館も送迎用のマイクロバスを用意しているが、あの林道をバスで行くというのも、なかなかハードなものがある。ちょっと乗りたくは無いなぁ。姥湯温泉桝形屋旅館のデータを、下記に示す。

・旅館名:姥湯温泉 桝形屋旅館(4月下旬〜11月初旬開業)
・住所 :米沢市峠姥湯一 TEL:0238-34-2157、0238-35-2633
・泉質 :単純酸性硫黄泉、温度52〜57度
・効能 :胃腸病、神経痛、高血圧症など

帰りの林道は、慣れたせいかそれほど苦労せずに走る。ジモティーはさすがに慣れたもので、涼しい顔してソアラを運転しているおっさんとすれちがったりしたもんだ。都会モンには辛い道ではあるが、地元の人にとってはどうってことないのであろう。

 姥湯温泉に寄った後、萱峠で峠の記念撮影を行う。その後、県道232号に戻り今度は県道を使用して米沢市へ向かう。しかし、今から考えればあのスタックした時の模様を、ディジカメで撮影しておくべきであった。あの時は帰れなくなるのかという不安から、アドレナリン出まくり状態となってしまい、とてもそんな心の余裕が無かったのであるが。。。


萱峠頂上のジェミニ

笠松鉱泉

笠松鉱泉の鳥居

笠松鉱泉付近の廃車

笠松鉱泉付近の廃車


 米沢へ向かう県道232号は、なかなか渋い道路だ。途中ダートコースもあり、峠も越えるためそれほどスピードは出せないが、典型的な田舎の道といった雰囲気を楽しめる。途中、笠松鉱泉という温泉宿の前を通る。この温泉、鉱泉を名乗るだけあって、渋い、渋すぎる!建物もそこそこ古く、今度宿泊するには良いかもしれない。宿屋の前の空き地には、パブリカ等の往年の名車が、草むらのヒーロー化していたため、思わず撮影してきた。しかし、薮が深かったため、蚊が多くて参る。

 笠松鉱泉から米沢方面へ5分ほど走行し、JR大沢駅に着く。ここも典型的なローカル線の無人駅である。奥羽本線の駅舎は、どうも共通化されているようで、この駅も峠駅や板谷駅とほぼ同じ構成になっていた。駅構内には、線路を研磨する特殊車両が停車していた。引込み線のホームは、他の駅と同様、廃線となっていた。この駅でも、積雪を避けるための屋根がついている。山の中の駅だけあり、蝉時雨とヒグラシの声しかしない、のどかな構内であった。



JR大沢駅画像


 米沢に戻ってからは、国道13号線を新庄市までひたすら北上する。途中山形郊外のファミレスにて昼食を取る。ところで、この付近には、見事なほどファミレスが無い。普通、デニーズやスカイラークの一軒もあってしかるべきであるが、ここには全くといって良いほど見当らない。入ったファミレスは、Milky Wayという、地元では有名みたいなところであった。

 盆地のせいか、外気温は36℃まで上昇する。国道13号を北上する際には、ほとんど進行方向が変化しないため、助手席はいつも日光の照射を受けてひからびそうになった。途中、猿羽根峠付近で最上川を見物する。

 新庄市を過ぎたあたりで、国道47号に入る。しかし、どう考えても渋滞するはずのない道路なのだが、突然すごい渋滞にハマる。しばらく並んでいると、パトカーが状況を連絡するために走ってきた。どうやら、大型トラックと乗用車の正面衝突事故が発生してしまい、通行止めになったとのこと。このままではいつ動けるようになるのか見通しが付かないので、迂回することになった。

 さて、迂回路の策定であるが、国道47号から県道56号(北羽前街道)に入りさらに県道318号を通って国道347号を通るというルートを取った。この県道318号であるが、地図上では黄色表示のちゃんとした道のように見えるのだが、実際はかなりハードである。まず、幅員は車一台分しかない。しかも舗装は部分的にしか施されておらず、半分近くはダートである。道路上には枯葉や砂などが溜まっており、ほとんど使用されたことがなさそうな道路であった。県道318号に入ってからしばらく走行すると、突然沼が現れた。人工的に造られたものでは無く、自然にできたものと思われる。あまりにもキレイで現実離れした光景であったので、思わず車を停めて見学する。鳥の鳴き声しか聞こえない、静寂の世界であった。

 沼を通過してさらにしばらく走行すると、突然廃鉱山跡が現れた。取り壊されてからかなり時間が経過しているようだが、コンクリートの基礎が部分的に残っている。付近には、碍子や焦げた材木、錆びついたモータなどが放置されていた。何を採掘していたのかは今となっては不明である。

 この廃鉱山跡のすぐ近くには、おそらく精錬するために使用していた溜め池が残っていた。この池は人工的に造られたもので、中央には給水塔のようなものが残っている。水質は見るからに悪そうで、おそらく精錬水の浄化に使用されていたものと思われる。しかし、古風な給水塔が建っているため、あたかもゲーム「MYST」のワンシーンのような感じを受ける。

 迂回路のおかげで思わぬ収穫があったが、時間はかなり食われてしまった。ちなみに、上記に述べた沼と廃鉱山跡、精錬用の池は、いずれも地図上に記載されていない。場所的には新庄市の南東、県道318号の南沢付近に当たる。県道318号は一本道なので、一旦入ってしまえば必ず行き当る。しかし、県道56号から318号への入り口は大変狭いため、見落とさないよう注意が必要だ。

※この廃鉱跡については、本サイト「廃墟系」「山形県尾花沢市の廃工場跡 (1999年08月)」にも掲載してあります。


県道318号線

尾花沢市近郊の廃鉱(Google Map)
2014年現在、Google Map上で、廃鉱の跡地と製錬所の池を確認することができる。

県道318号線
最初から最後まで、こんな感じの道路が続く。極めて狭い。

県道318号線沿いの沼
突如現れた池というか沼。辺りは森閑として、物音一つ聞こえない。当然、対抗車はおそか人も見かけなかった。

県道318号線
沼付近の県道318号線。この状態では、すれ違いは不可能なので、退避所までバックする必要がある。県道318号は、全編こんな感じ。


山形県尾花沢市近郊の廃鉱山画像
 


 事故渋滞のタッチアップのため時間をかなりロスしてしまった。温泉旅館の夜は早いので、とりあえず電話で遅れる旨を連絡しておく。その後、県道347号(母袋街道)から県道28号(尾花最上線)を通り、山刀伐峠を経て再び国道47号に戻った。山刀伐峠は名前を見ると狂暴そうなところを連想するが、実際にはどうってことない峠道であった。尿前で尿意をもよおし、鳴子峡を通過した後、池月から国道457号に入る。そのまま国道398号に乗りいれて花山峠方面へ向かった。この398号であるが実に変な道路で、めちゃ狭くなったかと思うと2車線の快適な道路となる。しかし2車線になっても、中央線5本分くらいしか続かないといった感じなのだ。予算が無くて思うように整備できない、典型的な地方国道のようだ。

 温湯温泉は、仙台藩仙北御境目寒湯御番所のすぐ側に建っている。昔はこの温泉は寒湯と呼ばれたそうであるが、その後湯温が上昇したため、温湯と呼ぶそうになったそうだ。ちなみに、温湯と書いて「ぬる湯」と呼ぶ。

 温湯温泉佐藤旅館に到着したのは午後6時30分くらいであった。駐車場にクルマを停めると、アブの大群に取り囲まれる。とても降りる状況ではなかったので駐車位置を変えたが、大群はそのままクルマを取り囲みながら付いてくる。いつまで経っても減らないため、エイヤでクルマを降りてみたが、案の定車内に20匹ほど入ってしまった。懸命に追い出そうとしたが、なかなか出ていかない。これを見ていた宿屋のご主人が笑いながら出てきた。なんでも、クルマの排気ガスと温度を検知して寄ってくるのだそうで、しばらく放置しておけば自然といなくなるとのことであった。その言葉通り、エンジンを停止してしばらく経過したら、ウソみたいにいなくなってしまった。

 すでに夕食の準備が整っていたのだが、とりあえず風呂だけざっと浴びてくることにした。ここの風呂場は広くて快適だ。泉質は弱食塩水の無色透明で、原泉の温度は61〜69℃程度。湯船は丁度良い湯加減に調整されている。

 気候の影響か、今年は昆虫類が大量に発生しているそうで、部屋の中には「カメムシに注意」といった張り紙もあった。それほど高い場所ではないため、滑川温泉ほど涼しくはないが、扇風機でも耐えられる程度の気温であった。部屋が古く網戸が無いため、夜中は窓を開けられない。旅館建築の見学は明日に行うことにして、今日は早々に休む。しかし、渡り廊下だけは写真撮影を行ってきた。夜中に薄暗い電球の照明に浮かび上がる木造の渡り廊下は、なかなか味がある。以下に旅館と温泉の情報を記載する。

・旅館名:栗駒国定公園 温湯温泉佐藤旅館
・住所 :〒987-2511 宮城県栗駒郡花山村字本沢温湯8−1
     TEL:0228-56-2251、FAX:0228-56-2257
・風呂 :内湯(女・男女混浴)露天風呂
・効能 :リューマチ、神経痛、創傷、慢性皮膚病、胃腸病、火傷
・由来 :温泉は平安の末に山崩れで湧き出したと伝えられている。源頼朝挙兵の年である治承四年(1180)に、平泉藤原秀衡が湯神社を奉納した。その後、弘安七年(1280)鎌倉の政争に敗れて移り住んだ三浦氏一族が開宿する。三浦氏経営は大正時代まで続き、第25代泉主三浦陽三郎を最後に昭和四年、佐藤家に所有が移る。藩政時代には寒湯と記されるが、明治時代から温湯と称されるようになる。旅館の建物は大正時代から昭和にかけての建造物で、一部には明治時代のものもある。ここは秋田藩に通じる花山越えの街道沿いにあたる。





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