平成4年(1992年)、秋葉原ラジデパ地下一階にある秋葉原エレクトリックパーツ、通称エレパで生まれて初めて購入したIBM PC/AT互換マザーボード。1992年20週前後の製品。
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■退廃的互換機趣味(其之三十五) (2014/05/31)
 【初めての自作DOS/V互換機】

 この「退廃的互換機趣味」シリーズは、人知れずまだ続いてたりする。

 今回は、筆者が生まれて初めてDOS/V互換機を自作した時のことについて記そう。時は1992年(平成4年)10月。今から22年前に溯る。

 当時は言うまでも無く国産マシンPC-98の天下だった。しかし、前年の1991年10月にはIBM DOS J5.00/Vがリリースされ、PC/AT互換機もジワジワとその勢いを増していた頃だった。コトの発端は、勤務先のPCオタク氏、もとい、PCの師匠からの情報である。秋葉原ラジオデパート地下一階にあるパーツ専門店「秋葉原エレクトリックパーツ」(通称エレパ)に、初めてIBM PC/AT互換機のマザーボード単体が売り出されたというものであった。

 もっとも、これがホントウに秋葉原で初めて単体発売されたマザーボードなのかどうなのかは、定かでは無い。しかし、当時秋葉原に足繁く通っていた筆者は、それまでに他店で単体発売されている互換機のマザーボードというものは、見たことが無かったのも事実である。

 そのPCの師匠は大変親切な人で、マシンを自作するのであれば、ちょうど余っている80486SX-16MHzのCPUがあるので差し上げると言うのだ。これは良い機会到来とばかり、筆者もIBM PC/AT互換機の自作という泥沼に入ることになった。

 考えてみれば、これが廃人への道の入り口だった。その後製作した互換機の台数は数知れず、試したマザーボードの枚数は100枚近くに上り、互換機趣味に莫大な時間と費用をかけるキッカケとなったのが、この「悪魔の誘い」だったのだ。

 マザーボードは、完全無印の台湾製で、ISAバスの他に、見るからに怪し気なローカルバスが1本搭載されているというシロモノだった。当時、まだ80386 CPUが現役だったこともあり、このマザーボードも80486 CPUと80386 CPUの、どちらも使用できるように設計されていた。メモリは30PIN SIMMスロットが8本。キャッシュメモリは256KB。当然ながらATフォームファクターである。

 マザーだけを入手しても意味が無いので、秋葉原にポツポツと出来てきた互換機ショップを巡り、VGAカード、マルチI/Oカード、HDD、メモリ、ケース、キーボードといったパーツを揃え始めた。今でこそ、こういったパーツの入手は誰でも簡単にできるが、当時は専門店が少なくて大変だったのである。

 漸く組み上がったマシンに火入れを行ったが、一発では動かなかった。当然、マザーボードの不良を疑った。やはり自作には無理があるのではないか?と後悔もした。しかし、マニュアルを徹底的に分析した結果、ジャンパピンの設定が間違っていることが判明し、これを直したら実にアッサリと起動した。率直にうれしかった。これが全ての始まりである。

 当時のマザーボードは、今のようなPlug and Play機能など有るハズも無く、いくつものジャンパピンを環境に応じて設定しなくてはならなかった。しかも、マザーボードだけでなくマルチI/Oカードも同様である。HDDもマスター/スレーブの切り換え用ジャンパ設定が必要だった。まさに、設定の嵐だったのである。

 因みに、いままで動かしたマザーボードの中で、一番ジャンパピンの設定数が多かったのは、「AIR 486VP (1994)」である。VL+ISA+PCIという、三種混合ワクチンのような仕様を初めて実現したこのマザーボードは、実に35ヵ所ものジャンパ設定が必要であった。また、基板上には、総計80個以上のジャンパピンが林立していた。その設定の複雑さで、このマザーを凌ぐものは、未だかつて見たことが無い。

 今回、初めて自作した互換機のパーツを紹介するにあたり、倉庫や押し入れを引っ掻きまわして当時購入した部品を出してきた。領収書が残っているものは、それも同時に掲載した。しかし、ケースだけは筆者の手元から離れてしまっていた。ケース専門のショップである「グロリアシステムズ」でミニタワーケースを購入したのであるが、その後やはり自作互換機地獄に堕ちた知人へ差し上げたのである。目的はモチロン、新たな廃人を増やすための布教活動だ・・・

 合掌!

 (-人-)



初めて購入したIBM PC/AT互換マザーボードは、このように80386 CPUを挿しても動作させることができる。但し、ジャンパピンの設定は必要だが。80486 CPUが高価で入手しづらい時代の産物だ。
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VGAカードは台湾DFI社製VG-7000をチョイス。1992年10週頃の製品。自分で選んだのでは無く、訪れた専門店「コムサテライト(これも懐かしい!)」の店員さんが勧めてくれたものだ。VGAチップにはOAK TECHNOLOGY社製のOTI067を使用している。このVGAカードは、今となってはかなり珍しい仕様なので、以下に詳細を説明しておこう。
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奇跡的に残っていたVG-7000の外箱。ボロボロになってしまっているが、まだ取ってあった。

VG-7000のパッケージ一覧。Windows用ドライバソフトが5.25インチFDというところに時代を感じさせるものがある。

このVGAカードは、MDA、CGA、VGAの各仕様に対応しているので、出力コネクタも二種類搭載している。左側がMDAとCGA用、右側がVGA用である。VGAカードとしては珍しく、ジャンパスイッチが設けられている。これは使用するモニタディスプレイに応じて設定するもの。MDA、CGA、EGA、VGA、8514、NEC各種といったディスプレイに対応している。

さらにこのVGAカードの変態的な所は、ISAバスのみならずXTバスにも対応していることであろう。基板上のジャンパピンを設定することで、VGA BIOSのみならずXT BIOSにも対応するのである。即ち、使用するマザーボードのバス・サイズを指定できるのだ。よって、この写真に示したように、XTバスストッロ(8 bitバス)に、無理くり突き挿すことができる。この場合、ISAバス拡張部分のコネクタは宙ぶらりんの状態で使用するという、極めてカオスな使い方になるのだ。因みに、全世界的オークションサイト ebayには、まだ同製品が出ていたりする。Descriptionの欄には、「VGA OAK OTI037C ISA 16 bits vintage usada DOBLE SALIDA CGA-VGA」と記載されていた。

VG-7000のユーザーズマニュアルの抜粋
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VG-7000購入時の伝票。しかし、良くこんなモン保存してあったな。。。購入したショップは、「泣く子も黙る」コムサテライト。IBM PC/AT互換機パーツをいち早く取り扱い始めた老舗である。
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スーパーマルチI/Oカード。1992年10週前後の製品。搭載チップはWinbond社製W83757F。1992年09月製造の基板。このカードは、互換機ケース専門店として有名だった、秋葉原のグロリアシステムズで購入した。税引価格4,500円は、当時としてはベラボウに安かったのである。
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スーパーマルチI/Oカードの外箱。「Micro Q」とかいうブランド名が付いていた。

スーパーマルチI/Oカードのパッケージ一覧。ケーブル類が同梱されてくる。

スーパーマルチI/Oの取扱い説明書
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スーパーマルチI/O購入時の伝票。
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初めて購入したバルクのHDD。Conner製CP30084E。1992年30週前後の製品。容量は85MB。残念ながらこのHDDについては、購入したショップ名、価格等の情報が残っていない。

Conner製CP30084Eの基板面。
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メモリは当然、30Pin SIMM。容量は4MB。これも、購入店名と価格が不明。おそらく上述の「エレパ」で買ったモノと思われる。当時メモリは高額商品で4MB買うのがやっとだった。


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