リストマーク 帝産ヘルスセンター跡 (1999年1月)

写真0:帝産ヘルスセンター正面入り口

 国道136号線から大仁鉱山跡へ向う道の入り口に、古風な建築物が残っていた。1999年1月訪問当時、これが何なのかわからなかったのだが、後にここが「帝産ヘルスセンター」の跡だということが判明した。この帝産ヘルスセンターは、雑誌「萬」臨時増刊号「廃墟の魔力」でも取り上げられており、伊豆の廃墟の中でも有名であったものらしい。

 帝産ヘルスセンターは、昭和11年に開業したと言われているが、当時は大仁金山で働く労働者の宿泊施設として利用されていたようである。ヘルスセンターに模様替えしたのは、金山採掘中に偶然温泉が出たためとされているが、真偽のほどは定かでは無い。経営母体は「帝國産金興業株式会社」。最盛期にはそうとうな賑わいを呈していたとのことであるが、鉱山が閉山となった1973年以降、徐所に客足が遠のき、1993年に廃業したそうである。

 取材当時は管理人が建物全体を管理しており、内部を撮影することはできなかった。正面入り口から見た限りでは、それほど荒廃しているようには見えず、昔のアパートのような感じすら受けたものである。しかし雑誌「萬」の特集記事を見ると、内部の荒れようはかなりひどいものだったようだ。ヘルスセンター内部には、巨大ローマ風呂や大宴会場、プール等があり、中でも巨大ローマ風呂の造りはなかなか見事であったとのことだ。

 残念ながらこの廃墟も、1999年9月の大仁鉱山取り壊しの際に撤去されてしまい、今は空き地となっている。


写真1:帝産ヘルスセンター正面入り口。入り口の前には、ある程度管理された馬車回しがある。この棟は管理人により使用されていたようであり、建物内部には自転車や日用品が置かれていた。

写真2:帝産ヘルスセンター正面入り口。柱にはタイルがびっしりと嵌め込まれており、古い建築物であることが伺われる。ここを見る限り、廃墟とは思えないほど整理整頓されていた。ドアの上部の飾りや左右の四角い窓など、特徴的な装飾が残る。

写真3:帝産ヘルスセンター正面馬車回し全景。中央に立っている街灯の形が、同潤会アパートの敷地内にあったものと酷似している。当時の一般的な街灯だったのだろう。写真のように、植え込みのそれなりに手入されており、廃墟といった雰囲気は無い。

写真4.かつての帝産ヘルスセンター駐車場から建物全体を見たところ。右側に見える半円形の部分が、噂の巨大ローマ風呂と思われる。大仁金山は、この建物の裏手にあたる。


写真5.大仁金山跡と帝産ヘルスセンター跡との位置関係を示すショット。


写真6.帝産ヘルスセンター前にあるバス停。「瓜生野下」という地名になっている。バスの本数は少なく、一日たったの8本だ。8時から11時の間には1本も来ない。




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