リストマーク 細倉鉱山住宅(1999年08月)

写真1:細倉鉱業所正面入り口と鉱山跡


写真2:細倉鉱山施設跡

 細倉鉱山は宮城県の北部、岩手県との県境に近い鴬沢町に位置する。ここには、花山湖から国道398号線を秋田県方面へ向った所にある温湯温泉佐藤旅館へ宿泊した帰りに、友人のO氏の勧めで立ち寄った。細倉鉱山がある鴬沢町は、宮城県北部の栗駒山麓にある人口3,500人程度の小さな町だ。古くから鉱山の町として栄えた所で、くりはら田園鉄道の「細倉マインパーク前」駅周辺には、細倉鉱業株式会社が運営する細倉鉱業所と、鉱山資料館、それに細倉マインパークという観光坑道がある。

Google Maps上での位置は、下記の通り。
細倉鉱山住宅

 細倉鉱山は、WEB上での調査によれば約1100年前の大同年間に発見された、日本でも有数の鉛・亜鉛鉱山だそうだ。坑道は全長500キロ以上と言われ、金や銀も産出したそうである。鉱山そのものは昭和62年3月に閉山し、現在では精錬作業のみを行っているそうである。閉山により町の人口は減少したが、現在では観光坑道による活性化を図っている。

 細倉鉱業所は現在でも操業を行っているが、正門からは、山腹にかつての鉱山施設の跡を遠望することができる。また、細倉マインパーク前駅の近くには、鉱山に勤務していた人々の住宅が今も残っている。これらの住宅は、一部は現在でも使われているが、ほとんどは無人となっており、活気は無い。住宅はどれも似たような間取りの木造平屋建てで、昭和30年代に良く見られた木の塀が続いている。広場には緊急用のハシゴも置かれており、まるで昔にタイムスリップしたような間隔に陥る。住宅街は、廃墟では無いものの、それに近い雰囲気を醸し出している。なんだかとても懐かしい、昔の日本の風景を見るような感じを受けた。


写真3.鉱山住宅街入り口の広場。懐かしい木の塀に囲われた平屋の住宅が立ち並ぶ。住人が少ないせいか活気は感じられず、とても静かな町である。


写真4.住宅地の中。まるで現代の風景とは思えないような懐かしい光景だ。木造の塀と木造家屋のためであろう。


写真5.中心部にある広場に面した住宅。壁にはハシゴがかかっている。人気は無いが、このあたりはまだかなり住人がいるようだ。


写真6.「梯子置場」とかかれた表示の下に、木製のハシゴが架かっている。


写真7.住宅の一つ。どれも同じような間取りになっている。玄関の上には、住宅番号を示す表示が設けてある。


写真8.玄関上部に付けられている住宅番号表示。この家には「湯の町 10」と記載されていた。どの家も同じような方法で表示が付いている。


写真9.住宅地の路地裏。両側に木の塀が続いていると、妙な圧迫感がある。昔の住宅の上には近代的な建築物も見える。新旧入り混じった奇妙な感覚。


写真10.住人がいなくなり、廃屋となった家の庭先で咲いていた花。


写真11.39番と書かれたこの家は、かなり前から空家になっているようで、荒れ放題となっていた。


写真12.雑草が茂った庭先から、家の内部を見る。破れた障子、木製の窓枠、煙突の穴。昔懐かしい構造だ。


写真13.これも廃屋の一つ。塀が倒壊しかかっている。隣の空き地は、既に住宅が撤去された跡と思われる。木製の電信柱が懐かしい。


写真14.鉱山住宅街の外れ。この辺りは定住している人も少なそうだった。木製の電信柱が並ぶ風景は、昭和30〜40年代そのもの。


写真15.鉱山住宅街の中にかかる古い橋。


写真16.鉱山住宅街の路地裏。既に転居した人がほとんどなのか、人気は全くと言ってよいほど無かった。




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