1997年03月号:波多 利朗のFunky Goods
残された最後の(?)謎パ~機 Poqet PCの逆襲! 天の巻



 波多 利朗の Funky Goods連載再開の第1回目。一年以上に渡って連載を休止していたのだが、ようやく本業の忙しさにも慣れて来て少しは執筆の時間が取れるようになった。とは言え毎月定期的に執筆できる状況ではなく、当面の間は「不定期連載」の形での再開となった。

 再開1回目の本号は、シーラカンス的謎パーのPoqet PCを二回シリーズで取り上げることにした。このマシンが登場したのは1989年で、記事執筆時点で8年も前のことである。ドッグイヤーのIT業界においては既にして立派なビンテージマシンとなっていた。因みに元祖パームトップPCと言われるATARI Portfolioが世に出たのもこの年のことである。

 パームトップPCの原型とも言えるこのマシンは、スペックも控えめで筐体の造りも粗削りなところがあったが、そのプロトタイプ的なところがジャンク志向の筆者には魅力的に感じられたものだ。シリーズ一回目の本号では、お約束の日本語化について解説したが、マシンスペックがやや特殊なこともあって若干の工夫が必要であった。また執筆当時このマシンで利用できる市販FEPは存在せず、「鳳」という些か特殊な操作を必要とするFEPを使わざるを得なかった。このFEPの詳細についてはシリーズの二回目で解説している。




(補記)
 記事冒頭でPSION Series 3a用の日本語エディタの作者である柴隠上人稀瑠冥閭守氏が、電車内で隣に座った謎の外国人が操作するPoqet PCを目にした話を紹介しているが、これは実話である。アメリカの通販会社California Digitalからこのマシンを入手した同氏は、その英語環境上で動作する簡易エディタのPEDを速攻で開発し、「Madame Fatale」名でNIFTY Serveで公開したのだった。実は、柴隠上人稀瑠冥閭守氏とMadame Fatale氏は同一人物だったのである。しかし同氏がなぜ二つのハンドルネームを使い分けていたのかについては、今に至るも謎である。変人の気まぐれか、はたまた二重人格的な同氏の性格によるものか...。

 本稿では、筆者が立ち上げたばかりのホームページについても紹介している。今から見ると素人くさいデザインで気恥ずかしい限りだが、謎パーについても専用のページを設けて解説する予定だった。しかし本業の忙しさもあって構築は遅々として進まず、読者諸賢のお叱りを頂戴することとなってしまった。因みに、本サイトの「謎のパームトップ機」のコーナーは、この時のホームページがルーツとなっている。