■闘病日記 其の十六 【手術後】 (2013/11/21) 意識がブラックアウトした後、最初に音が聞こえてきた。オルゴールのヒーリング系ミュージックだ。その時、「ああ、これが天上の音楽ってヤツだな。。。」と思った。 しかし、何のことは無い、音楽は手術室に常時流れているBGMだった。全身麻酔後、最初に聴覚が復活したというのは、興味深い。他の患者でもそうなのだろうか?それとも、人によって覚め方が異なるのだろうか?今後ヒマがあったら調査してみたい項目ではある。 聴覚復帰後20秒ほど経過すると、誰かが左手をギュっと握り、名前を呼んでいるのが聞こえてきた。その後、すぐに視界が戻って来る。こちらの意識が回復したことを知らせるために、手を握り返すと、気道挿入されていた人工呼吸器のパイプが引っこ抜かれて、思わず「ウェ〜!」となった。長時間管を気管に入れられていたので、喉が痛い・・・ 実は、悪友のRANDY氏から事前情報として、人工呼吸器のパイプを抜くタイミングが遅いと、死ぬほど苦しい目に遭うと聞かされていたので、不安だったのだよ。今回のように、麻酔が覚める丁度そのタイミングで抜いてくれると、苦痛は大したことは無いのだが、麻酔が覚めたことに誰も気が付かない場合には、意識はハッキリしているのに、気管にぶっといパイプが突っ込まれている状態となり、大変な苦痛を味わうことになるのだそうだ。。。 剣呑、剣呑。 午前9時に手術室に入ってから、一瞬のうちに午後3時になっていた。約6時間の長きに渡り、手術台の上でのびていたことになるが、全身麻酔中のことは、何一つ覚えていない。麻酔科医の事前説明の通り、夢も見ない。ましてや、臨死体験も無い。「良く晴れた暖かな春の日に一面のお花畑に佇んでいる」とか、「真っ暗闇のトンネルのはるか先の出口へ向かい猛スピードで突進している」とか、そういった酒の肴になるような面白い経験は何も無かったのだ。 つくづくロマンの無いヤツだな、オレって・・・ 全身麻酔から目覚めた時は、とても気持が良かった。多少ラリッていたのか、「気持良いので、もっと寝かしておいてくれ〜!」と叫んで、ナースに笑われたことを覚えている。その後すぐに、猛烈な寒気が襲ってきた。長時間、低温の手術室に寝かされていたため、低体温症になっていたのだ。続いて、猛烈な肩凝りが始まる。体全身がこわばって、全然動かすことができない。この瞬間から、術後の苦痛が始まったのだ。 手術台に横付けされたストレッチャーへ、ヨイショと担ぎ移された後、病棟3階のナースセンター隣りにある集中治療室へ運ばれる。映画「ロボコップ」で、マーフィーが病院に担ぎ込まれるシーンを思い起こしたね。天井が流れるように過ぎ去るのが見える。手術日当日の夜は、この集中治療室で医師による常時バイタル監視の下、過ごすことになった。 集中治療室に運びこまれた段階で、私の体にどのような装置が接続されていたのかを下記に示しておこう。
・右手に点滴
・背中に電気カーペット(低体温症対策) この状態で一晩過ごしたワケであるが、当然のことながら一睡もできなかった。両足に取り付けたマッサージ器は、常時単調な動作音を出しているし、1時間毎に自動血圧計が測定を開始する。さらに、肩凝りと患部の痛みが有る。痛みが増した時には、ナースコールをして、点滴で痛み止めを入れてもらった。最初の2回は良く効いたものの、3回目くらいになってくると、さすがに効きが悪くなる。 この悪夢のような夜、私のアタマの中では、四六時中ムソルグスキーの「禿げ山の一夜」が鳴りひびいていた。患部の痛みも辛かったが、もっとも不快だったのが、例の「胃管」である。ハナの穴からチューブが突っ込まれているものだから、口で息をするしか無い。当然、喉が渇くが、何も飲めない。あまりの不快感に、ナースへ胃管を抜いてくれと頼んだのだが、「医師しか抜くことができないし、抜くとおそらく吐き気がひどくなるからダメだよん!」と、素気なく断られてしまった。胃管ごときで弱音を吐くとは、この軟弱モノ!と思われる方もいるかもしれないが、私だけでは無く、他の患者もほぼ例外無く、胃管挿入時には猛烈な不快感を訴えていたから、まあ、一般的な反応だと思うよ。 そうこうするうちに夜が明けて、翌日11月22日の午前10時の回診の時間が来た。 (つづく)
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