小谷温泉山田旅館の押入内部
明治時代に建てられたという本館2階客室押入に残る、当時の新聞紙。襖と押入の内張として使用されていた。他の部屋でも同様なのかどうかは不明であるが、数回宿泊した経験では、本館3階の部屋では見かけることは無かった。


■小谷温泉山田旅館の襖の下貼り (2005/09/15)

 今回は温泉宿について。最近はすっかりご無沙汰してしまっているのだが、筆者は以前、秘湯として有名な、小谷温泉山田旅館へ、年2回春と秋に訪れていたものだ。場合によっては豪雪時の2月〜3月に行ったこともある。この定宿は、温泉マニアのO氏より教えてもらったところである。初めて訪れたのは1998年10月のこと。増築を重ね複雑な内部構造を持つ明治時代の古びた建物と、周囲の豊かな自然に、一発で気に入ってしまった。

 ここで、小谷温泉について若干解説をしておこう。小谷温泉は、長野県北安曇群小谷村にある秘湯である。東京からは、中央高速豊科I.C.を降りて国道147号、148号線を糸魚川方面へ北上し、白馬村を過ぎたあたりで妙高小谷林道に入るルートを取る。標高は850m。温泉は1555年、武田信玄の家臣によって発見されたという歴史を持つ。泉質はナトリウム炭酸水素塩泉で、神経痛、筋肉痛、関節痛等に効用があるとされている。

 小谷温泉山田旅館は、明治時代からある旅館で、その名の通り山田さんが代々経営されている。旅館は、本館、新館、別館の3つの建物がつながっており、その内部構造は極めて複雑。以前執筆していた幻のパソコン雑誌「PC WAVE」にも、なぜか取り上げたことがあるが、その際、旅館内部の構造を「intelのプロセッサの如き複雑怪奇な構造」と表現したことがある。

 ここで、山田旅館の構造を簡単に紹介しておこう。

・本館:明治時代に建てられたもの。各部屋の入り口は障子。

・新館:新館といっても、大正時代の建物。各部屋の入り口は襖。食堂や源泉の浴室は、この建物の中にある。

・別館:最近建造された鉄筋コンクリートの建物。シーズンオフには使用されない。カラオケや露天風呂等がある。

 さて、ここから本題に入るのであるが、以前O氏より「山田旅館の襖の下貼りには、明治時代の新聞紙が使われている」との情報があった。山田旅館に以前宿泊した人の情報とのことであったが、一番古い本館のとある部屋に残されているということなのだ。さっそく真偽の程を確かめるべく、1999年2月20日、我々は小谷温泉山田旅館へと向かった。

押入内部に貼られた新聞 #1
明治四十四年一月七日の日付の長野新聞。「論説」と題し「小売業改善策」の記事が掲載されている。「薄利多売主義は、小売業成功の秘訣なるは何人も首肯する処なるが、此の主義の前提には顧客吸収策なかる可からず、デパートメントストアーは顧客吸収策に成功したる方なり、世人は此を以て此店舗の大規模にして営業振りのハイカラ式なるに依るとし、或いは大経営の占有する特権に帰する有り」(一部シミ等で判読できない部分有り)

押入内部に貼られた新聞 #2
こちらは「善光寺堂内の白蟻退治」と題して、サブタイトルに「実は黒蟻なりとの推定も有り」と記載された記事。

押入内部に貼られた新聞 #3
画面左側の黒枠に掲載されているのは、いわゆる訃報。「ドクトル、ワグ子ル君」というタイトルが、大変目を引く。「兼ねて病気不相叶八日午後四時死去来ル十一日午前十時駿河台鈴木町十八番地邸出棺青山墓地へ埋葬相成り候・・・・」

 この時期、小谷村は豪雪期の真っ最中である。国土地理院発行の地図で「雨中」という地域で表記されていることからも判るように、この辺り一帯は有数の豪雨、豪雪地帯だ。明治時代に建てられた本館は、夜間には館内でも4℃と、かなり厳しい環境となる。反面、宿泊客は少なく、鄙びた雰囲気を満喫することができる。この時、我々は本館2階の某部屋を指定した。何号室であったかは忘れてしまった・・・

 大変ラッキーなことに、この部屋の押入に、例の「襖の下貼り」があったのだ!布団を全部出してみると、一番奥に隙間無く貼られた明治時代の「長野新聞」が、色あせてはいるもののはっきりと判読できる状態で「保存」されていた。いや別に、言ってしまえばそれだけのコトなんだけど、なんか遺跡を発掘したような感じで、妙にカンドウしてしまったのを覚えている。

 記事内容もなかなか面白い。面堂終太郎であれば、悲鳴をあげそうなくらい、暗くて狭い押入の中、色あせた新聞記事を判読するのは容易なことでは無いが、目を凝らすと「善光寺の白アリ退治」とか「小売業改善策」、「世界第一りうまちす必治療薬」等、当時の雰囲気が伝わってくる。なお、細かい内容は当然その場では判読できず、デジカメで撮影したものを、後で拡大して読むことができた。こういう時に、デジカメは便利である!(なお、1998年当時のこと、使用していたデジカメは、たかだか160万画素のKodak DC260であった!)

 ご興味のある方は、是非現地へ行って確認されたし。現在も残っているかどうかは、保証の限りでは無いが、明治時代からの建造物を今に伝える旅館ということもあり、おそらくはまだそのままであろう。繰り返すが、当時の新聞が貼られている部屋は限られている。昔のことなので、何号室なのかは忘れてしまったが、本館2階であった可能性が高い。まあ、泊まってみて、見つかったらラッキー!程度で楽しんでほしい。

合掌!

押入内部に貼られた新聞 #4
「世界第一りうまちす必治法」と題された当時の広告。曰く「リウマチスを速やかに根治せんと望む人はシクワー氏霊薬を・・・」とある。この「シクワー氏霊薬」とはいったい???
( ̄〜 ̄);

押入内部に貼られた新聞 #5
「滅多に饒舌るな」と題された漫言。今で言うところの「天声人語」のようなものか?内容は結構過激だったりする。「売りもせぬ喧嘩を買いに来たりしか但しは何か遺恨でもあるか東京日々新聞は時事新報の議論を間咎め・・・・」と書き出している。どうやら、日々新聞の内容に対してクレームを付けているようだ。。。
ヽ(`Д´) ノ

客間内部に残る謎のコンセント
小谷温泉山田旅館本館は、古いだけのことはあり謎も多い。これはその一つ。客間に残された謎のコンセント。昔の電話機の接続コネクター跡か?

本稿取材当日の山田旅館外観t
1999年2月20日の小谷温泉山田旅館本館。これは大正時代に建てられた別館から撮影したもの。厳冬の豪雪で、外はこんな感じ。かな〜りヘビーな積雪である。正面に見えるのが、旅館入り口。


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