懐かしのスパンキーコンピュータ包装袋 スパンキーコンピュータのトレードマークと言えば、右下の「リップ・マーク」。これだけ見れば、まるでどこかのキャバクラそのもの。筆者の記憶では、これより前の包装紙は、このリップマークだけだったような気がする・・・ |
■みんなどこに逝った? (2005/08/15) 【スパンキーコンピュータのハナシ】 今日は終戦記念日なので、それにふさわしい話題をば。唐突だが、「スパンキーコンピュータ」の包装袋の話しなのだよ、って、ホントに唐突で、何の脈絡も無いなぁ〜。でもね、この袋を見た途端、懐かしくて涙が出てしまった。どうもこう、年寄りになると涙もろくなっていかんね。 (´ヘ`;)
ところで「スパンキーコンピュータ」だが、知らない人にとっては、面白くも懐かしくも何とも無いので、ここから先は読まなくても一向に構わんのだが、あれは1994年頃だったか、DOS/V黎明期の頃に、秋葉原へ行くと必ず立ち寄った伝説のお店だったのだ。そこでいったい何を買っていたのかは、ボケが進んでしまった今となっては、あいにくと覚えていない。当時、PC WAVE誌の筆者や読者行きつけの、コアなDOS/Vショップだった。非常にわかりにくい場所にある狭い店内には、結構キケンなPCパーツが山積みされていて、ワクワクしたもんだ。いやしかし、ホント、怪しいお店だったよなぁ〜。
あの頃は、秋葉原へは最低週2回は逝っていた。週末だけでなく会社の帰りとかにも寄ってたから、それ以上かも知れない。当時の秋葉原は良かった。ヲタの街であることには今と変わり無いのだが、当時の秋葉原には、98帝国の衰退とDOS/Vムーブメントの黎明期にあり、混沌とはしてはいたものの、1960年代学生紛争華やかなりし頃のような、一種異様な熱気があったものだ。何よりも、各ショップがどこも元気良かった。「スパンキーコンピュータ」もその一つだったが、「エーマスター」なんかにも良く逝ってた。「プロサイド」というショップは、アウトレット館なるものがあり、そこは昔バナナの貯蔵所だったところを再利用してジャンク品を展示していた。陰気くさい地下室に降りて行くと、ジャンクが山積みになっている棚があり、あろうことか「廃人の棚」と書かれた札が架かっていたのには参ったものだ(因みに、この廃人の棚については、筆者がPC WAVE誌上で連載していた「波多利朗のFunkyGoods」にて紹介している)。「Aztec」というお店は、謎ぱ〜機の代表的傑作「ME-386」を積極的に輸入販売しており、筆者のマシンもここで購入した。パームトップ機というものが大変珍しい存在だった当時に、ワケのわからん台湾製の謎ぱ〜機を、しかも日本語化マニュアル添付で販売していた功績は大変高いと、今でも筆者は最大限の評価を惜しまない!ところで、牛丼屋「サンボ」の近くにあったショップは、何てったっけ?確か「TOM」とかいったような気がするけど、違ったかな?リムーバブル・ディスクのハシリ、SyQuestドライブを取り扱っていたことで、カナーリ有名だったような気がするな。
486のOptiローカルバスマシン時代は、「クラスター」に良く通った。TEKRAMのIDE I/Fキャッシュカードや、極めて安定度の高いEFA製マザボ等を取り扱っている店だった。場所であるが、あの「小木曽ビル」に入っており、その後移転を「余儀なく」された。理由は・・・まあ、書かなくてもわかるヒトには判るであろう。そういえば、小木曽ビル1Fにはマヤ電器というお店もあったな。。。マイクロイドBIOS搭載の怪しいマザーボードを置いていたのは、確か「ガラパゴス」だっけ。4つだったか5つだったかの「No」を売り文句にしていたのは、「STEP」だったよな。当時としては珍しく、ATケースばっかり売っていたお店は、駅からかなり外れたところにあった「グロリアシステムズ」。ここで筆者は、生まれて初めて初めてマルチI/Oカードを買ったんだけど、余りの安さにびっくりしたものだったyo。まだ持ってるよ、そのカード。ジャンク専門店では、何といっても「たんせい」だ。あの狭い階段を上がって行った右側にあったが、その後移転して、そこも閉店してしまった。「たんせい」の上の階には、同じくジャンク専門店「阿修羅堂」とかいうのがあって、動作不明のAmiga2000なんかがさり気なく置いてあったような記憶がある・・・そうそう、「ロビン電子」なんてショップもあって、必ず訪問していたものだ。
こうしてみると、1994年〜1996年にかけての秋葉原は、最も輝いていた時じゃなかったかと思うね。今はどうだろう。上記に挙げたショップは、ほとんど無くなってしまった。代わりにのしてきたのが、フィギアと同人誌とメイド喫茶だ。筆者はヒトの趣味にケチを付けるような無粋なマネは絶対にやらないのだが、それにしても昔贔屓にしていたショップが次々と無くなり、フィギアや同人誌ショップ、挙げ句の果てにメイド喫茶に代わって行くのを見ていると、「何だかなぁ〜」と寂しくなってしまう。今はもう、秋葉原という所には滅多に行かなくなった。この前行ったのがいつだったかも忘れてしまうほどだ。各ショップも、扱っているものが皆同じで、つまらない。いや、これはPCの世界自体が成熟しすぎてしまい、つまらなくなってしまったのだ。よく考えて見ると、別にショップの責任ぢゃないよな。。。
たまたま出現したスパンキーコンピュータの包装袋をマジマジと見ながら、このようなことをつらつらと考えてしまった。あれからまだ10年しか経過してないんだよな。いやしかし、10年も経過したと言うべきなのかもしれない。もう一度「廃人の棚」が健在な時代に戻れるものならば、幾ら金を払っても惜しくは無いと思う、老齢の波多利朗であった・・・
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