これまでパームトップ端末を中心に紹介してきた本連載だが、今回は、サブノートマシンを取り上げることにした。筆者が1993年の3月に香港で入手したBICOM SL60というマシンである。当時、バブル崩壊後とは言え、世の中には未だ能天気かつ楽天的なムードが残留しており、円高を背景にブランド物を買い漁ったり、グルメ三昧をしたりするツアー観光客が数多く香港を訪れていたものだ。しかし、パームトップ廃人を自認する筆者は、植民地のけだるく退廃的な雰囲気の漂うペニンシュラホテルの喫茶室でアフターヌーンティーを楽しむことにも、三つ星レストランで上海蟹を賞味することにも、高層ホテルのラウンジでドンペリをすすりながら百万ドルの夜景を堪能することにも全く関心がなく、日がな一日、香港の電脳街を彷徨ってはレアパーツや珍奇グッズの収集に血道を上げていたのだった。
その香港のとあるショップで、日本円にして大枚14万円で手に入れたのが、香港製サブノートのBICOM SL60である。これでも当時のサブノートマシンとしては、破格の安さであった。帰国後、直ちに日本語化を試みたのだが、これが意外と難物だった。液晶ディスプレイが、VGAでもCGAでもなく、DCGAというやや特殊な仕様だったからである。あれこれ試行錯誤したあげく、IBM DOS/V付属の disp.sys にパッチを当てて使用することで日本語化に成功したが、当時、手元に最新のIBM DOS/V 5.02がなかったので、急遽、秋葉原に買いに走ったのも懐かしい思い出だ。
日本語化に成功してしまえば、BICOM SL60は、それなりに使いやすいマシンだった。定番のDOSソフトは、ストレスなく快適に動作したし、WTERM や HTERM をインストールしてパソコン通信(!)を行うこともできた。ABC Computer というほとんど無名の香港メーカーの製品ではあるが、筐体の造りや仕上げも合格点で、その後、IBM製のサブノート ThinkPad220を入手するまで愛用したものだ。
今回の前フリは、腕時計型コンピュータのRuputer上で動作する日本語エディタ RupEditを取り上げた。前号で紹介したP/ECE用の日本語エディタ P/Edit を移植したものだが、あの小さな液晶画面で日本語の文章を入力するというのは、もはや常人には理解できない異常な境地である。P/Editの反響に気を良くした作者の柴隠上人 稀瑠冥閭守 (Kerberos)氏は、この RupEdit に引き続いて Psion Organiser II 用の HaikuPad なる極小日本語エディタを開発してしまうのだが、それについては、後日改めて紹介したい。
あとがきでは、イスラエル製の怪しい鉱石ラジオキットを取り上げた。秋葉原で偶然発見したものだが、筆者は、この手の製品には目がないのだ。