■SANWA PRECISA M−12 「三和プレシーザ株式会社」が製造した12桁のデスクトップタイプ電卓。 製造は、日本において電卓メーカーが乱立した1971年(昭和46年)頃と 思われる。「日本事務機械年鑑」1972年版によれば、昭和46年には日本 に33の電卓メーカーがあった。ブランド数にして36、全210機種の電卓 が市場に出回っていたのだそうだ。しかも、この33の電卓メーカーには、 OEM専業メーカーは含まれていないので、これも含めると、50は下らない と言われている。 ここに紹介する「三和プレシーザ株式会社」も、このOEM専業メーカーの 一つと考えられる。残念ながら、上述の「日本事務機器年鑑」には、このメー カー名は見当たらない。電卓内部を見ると明確だが、本製品はビジコン社(旧 日本計算機:NCM)がOEM供給したものであった。銘板には、「SANW A PRECISA M−12 4−2 GOBAN−CHO,CHIYOD AKU,TOKYO,JAPAN」と記載されている。本機のシリアル番号は 22DS102132。消費電力は7Wとなっている。
本体裏面には「NCM 検査合格証」と書かれたシールが貼付されているが これはBUSICOM(NCM、Nippon Calucrating M achine Corp.)社のことである。 なお、三和ブレシーザ株式会社についての詳細は不明であるが、ネット検索で 調査すると、「カンプレ株式会社」という会社の社史の中で、下記の記述を見 出すことができた。 カンプレ株式会社 昭和49年6月 埼玉県大宮市大成町1丁目99番地に関東プレシーザ株式会 社を設立し、電子式卓上計算機を中心とした事務用機器の販売を開始。 どうやら、電卓メーカーからOEM供給を受け自社ブランドとして発売してい た、事務機器販売会社のようである。 さて、M−12型電卓であるが、青色発光タイプの7セグメント蛍光表示管 を使用した、12桁タイプの四則演算用電卓である。機能面では特にどうとい った特徴は無いが、デザイン面では凝ったギミックを採用している。というの はこの電卓には電源スイッチというものが無く、カバーの開閉に連動して、電 源が入るようになっているのだ。カバーは、開けると表示部分を覆う庇の役割 を果たし、明るい所でも表示が良く見えるよう工夫されている。 小数点表示制御は切り替えレバー式となっており、0、2、3、4が選択で きた。なお、マイナス記号表示は無く、「NEGATIVE」と書かれた表示 をネオン管で照明することで実現している。本体の大きさは27.5×16× 10cm。大きさの割りに重量が無いので、持った感じは非常に軽い。電源コ ードは脱着式で、3コネクタタイプ。下の2つがAC入力となっており、上が アースになっている。
本体内部基板を見ると、その構成の簡素さに驚く。この製品は、すべて1つ のLSIチップで構成されているのだ。メインとなるチップは、40ピンのセ ラミックパッケージLSIで、ドーター基板を介してメイン基板に実装されて いるため、チップ本体を取り外して交換することができるようになっている。 これは非常に重要なことで、メインチップ1個を交換することで、様々な機能 を持った電卓を提供することを可能にしていた。これは、全機能を1つのLS Iに集約できたからこそ、実現できたことである。 さて、そのメインチップであるが、ロゴこそ「NCM」となっているものの 捺印にはMOSTEK MK6010 QP−3550 7109と記載され ており、モステック社製のものであることがわかる。製造は71年の9週。別 にチップ上にはS46.4.6の捺印があった。 この石であるが、実は結構有名なものだ。「電子立国日本の自叙伝 第5巻 」を見ると、昭和45年に日本計算機(NCM)から社名変更を行ったビジコ ン社が、昭和46年1月にLE−120Aという電卓を発売した経緯が記述さ れている。このLE−120Aという電卓は、全ての機能を1つのLSIチッ プに集約させ、単三乾電池駆動による完全ポケットサイズ電卓を実現したこと で一躍有名になった製品だ。当時「てのひらこんぴゅうたぁ」という宣伝文句 で発売し、その携帯性と電池駆動を最大の売り文句としていた。 ところで、この電卓に使用されていたLSIが、実は本機に搭載されている ものと同じモステック社製MK6010なのである。ビジコン社のLE−12 0Aでは、表示部分を発光ダイオードとすることで、電池駆動を実現していた が、プレシーザM−12は、表示部分に蛍光表示管を用いていたため、AC電 源駆動になっている。しかし、機能そのものは全て1チップに集積されている ので、内部構造が驚くほど簡略化されているというわけである。 「電子立国日本の自叙伝」によれば、当時ビジコン社は電卓用LSIをイン テル社とモステック社の2社に発注していた。インテル社に発注したプログラ ム電卓用LSIは、その後世界初のマイクロプロセッサ「4004」の開発に つながったことは有名である。一方、モステック社に発注したワンチップ用電 卓のLSIが、このMK−6010なのであった。なお、モステック社は、 TI(テキサスインスツルメンツ)社のMOSテクノロジーデビジョンからス ピンアウトした若手連中が作り上げた、当時はまだ発足して間もないベンチャ ー企業であった。 ビジコン社はこのMK−6010を自社の電卓に使う一方で、各社向けのOE M製品にもこのLSIを搭載して販売した。その一つが、この三和プレシーザ M−12というわけである。前述したように、M−12では表示部分に蛍光表 示管を使用しているため、外付け部品として表示ドライバが必要となった。ド ライバは21個のメタルキャンのトランジスタ列と、42個のカーボン抵抗か ら構成されている。 基板上にはこの他に、三菱製2SC620トランジスタが2個、メーカー名不 明の2SA611が2個、電源部分に三菱製2SC1014パワートランジス タを1個使用している。基板上にはQP.3666(0) JAPAN PS O1Bの表記と、NCMのロゴ捺印あり。 キーはクリック感の無いタイプでメイン基板とはコネクタで接続されている。 マイナス表示は、専用のネオン放電管で行い、ケース上の「NEGATIVE 」表示を照らす仕掛けになっている。
この電卓の内部構造を見ると、昭和45〜46年にかけての電卓戦国時代の様 子を垣間見ることができる。昭和46年1月に、乾電池駆動のポケットサイズ 電卓を発売していたビジコン社を前にして、昭和46年4月にM−12型電卓 のような大型電卓を発売して、果たしてどの程度の効果があったのかは不明で ある。当時、表示一桁1万円といわれていたデスクトップ電卓で、おそらくこ のM−12型も12〜14万円台で売られていたのであろう。その後、ワンチ ップLSIによる電卓チップ集積化の驚異的な発展で、泥沼のコスト戦争が開 始された結果、乱立していた電卓メーカーもどんどん倒産して行き、あっとい う間に淘汰されてしまう。そのきっかけともなった石を搭載した電卓が、この プレシーザM−12型なのである。 なお、プレシーザM−12型は、トーホービジコン120−DMという電卓と 外観が瓜二つである。差異はわずかにトーホービジコン社製では、表示部分の 庇が付いていない点のみである。この2製品にどのようなつながりがあったの かも、興味深いところであろう。