■Canon Pocketronic Canonが1971年に発売した小型電卓「ポケトロニック(Pocke tronic)である。実はこの電卓、米TI社が1965年(昭和40年) に、当時急成長を遂げている最中であったICの可能性を探るため、市場調査 も兼ねて試作したポケット計算機そのものなのである。 1965年、TI社社長のパトリック・ハガティは、集積回路の発明者である ジャック・キルビーに、バイポーラICを使用したポケット電卓の試作を命じ た。キルビーは、ジェリー・メリマンをプロジェクトリーダーに任命し設計を 開始、ブレッドボードを経て1967年(昭和42年)3月29日に、ポケッ ト電卓一号機を完成した。この電卓は、入力制御、演算、記憶、プリンター制 御の4つのブロックから構成されており、それぞれが1枚のウエハーから成り 立っていた。このウエハー1枚には、384個のICが集積されていたそうで ある。使用されたICは、4枚のウエハー総計で1536個。トランジスタ数 にして、12,288個から構成されていた。当時、電池駆動が可能な表示装 置が無かったため、表示は半導体製のサーマルヘッドによる印字で対応した。 このサーマルヘッドは、縦3列、横5列の15ドットから構成されていた。 こうして作られたポケット計算機であったが、TI社の市場調査の結果、普及 する見込みは薄いと判断され、結局製造されずにお蔵入りになってしまう。し かし、Canonがこの試作1号機の設計図をライセンス購入し、1971年 にポケトロニックの名称で発売した。これがここに紹介する電卓なのである。
当時、日本ではMOS−ICを使用した電卓の開発競争が盛んに行われてい た。MOSデバイス技術ではSHARPが先行しており、Canonがそれに 追従した。TI社が試作したポケット計算機では、バイポーラICを使用して いたが、Canonはライセンス購入の際、TI社に回路設計とデバイス製造 をMOS−ICで行うように依頼した。従って、ポケトロニック電卓は、TI 社の記念すべき第一号試作電卓の、MOS−IC版と言えるのである。 因みに、TI社はその後1973年(昭和43年)に、有名なポケット電卓 TI−2500を発売し、25万台を販売する大ヒットを飛ばす。この電卓で は、表示装置として赤色LEDを採用していた。 以上のように、Canonのポケトロニック電卓は、電卓史上非常に重要な製 品と言える。ポケトロニックは、表示装置としてサーマルヘッドによるプリン ターを採用しているため、外観はかなり特徴的だ。本体上部にはサーマルプリ ンターテープが透明のケースに格納されて装着される。テープの幅は7mm程 度。ちょうどカセットテープのような感じである。本体上部には窓が開いてお り、印字された数字を確認することができる。テープは本体左側から外部へ排 出されるようになっている。
本体の大きさは21×10×4.7cm程度。ニッカドバッテリーを内蔵し ているため、持った感じはかなり重い。持ち運び可能ではあるが、常時携帯す るにはしんどい大きさと重さだと言えるであろう。定格はDC16V、1W。 本体のシリアル番号は108017となっていた。内蔵バッテリは専用のチャ ージャー(ACアダプタ)で充電したようであるが、アダプタが欠品している ため、詳細は不明である。アダプタの接続コネクタは特殊形状となっている。 内蔵バッテリーを充電できないため動作させることができず、どのように印字 していたのかは不明。 キーボードはクリック感の無いタイプである。TI社が試作した電卓では、キ ーボードはゴムのシートに金の配線を蒸着させ、それを使ってキーの開閉を行 っていたそうであるが、おそらく同じものが採用されていると思われる。機能 的には四則演算のみの極めてシンプルなものとなっている。 電卓内部は、バッテリー部とロジック演算部およびキーボードの3つから構成 されている。バッテリーはニッケルカドニウム蓄電池を5パック直列に接続し 15.6Vの電圧を得ている。本体下部は、ほとんどこのバッテリーで埋め尽 くされており、電池駆動が大変であったことを偲ばせる。使用されているバッ テリーパックは、下記の通り。なお、TI社の初号機では、12Vのバッテリ ーが採用されており、バッテリーだけで226gの重量があったそうだ。 4.8V 450mAh 2.4V 450mAh 3.6V 225mAh 2.4V 225mAh 2.4V 225mAh 合計15.6V
ロジック部は抵抗、コンデンサ、トランジスタから構成されるクロック制御 基板と、演算用ICが搭載されたロジック基板の2枚から構成されている。ト ランジスタは2N5447と2N5449が合計10個使用されている。2N 型番のトランジスタを使用しているところなど、TI社から設計図ごと購入し た痕跡が見受けられる。 演算用ICは全部で3個。どれもセラミックパッケージにメタルキャップが付 いた古風な形状である。うち2個は40Pinで残りの1個は28Pinとな っている。TI社初号機ではバイポーラICが使用され、4枚のウエハーから 構成されていたが、、Canonが同社にMOS−IC化を依頼した結果、3 チップのすっきりとした構成となった。各デバイスの品番は下記の通り。 TI TMC1730A JC 7024 28Pin TI TMC1731A JC 7029 40Pin TI TMC1731A JC 7023 40Pin 抵抗、コンデンサ、トランジスタから構成されるクロック制御基板上には、ラ ジオで使用されるようなポリバリコンが搭載されていた。これはTR、C、R により作成したクロック周波数を微調整するものと思われる。作成されたクロ ック信号はロジック基板へリード線を介して供給される。 サーマルヘッド部分は単独の基板で構成されており、パワートランジスタが実 装されている。印字ヘッドへは14本のフラットケーブルが接続されている。 印字ヘッドメカは完全にモジュール化されており、ロジック基板からの信号は フラットケーブルで印字メカへ供給されるような構成となっている。 Canon Pocketronicは、TI社が試作したポケット電卓1号 機のコピーマシンであった。この電卓が市販されなかったら、TI社の初号機 は一生日の目を見なかったと考えると、感慨深いものがある。液晶はおろか、 LEDも実用化されていなかった当時、なんとか持ち運び可能なポケット電卓 を作ろうと、サーマルヘッドを搭載したプリンター方式を採用したところなど 今から考えると涙ぐましいものさえ感じられる。本機がどの程度市場に出たの かは不明であるが、電卓史上記念碑的な製品であったことは確実であろう。