■Casio Model 101E CasioのModel101は、1966年7月、カシオ計算機初の輸出モ デルとしてデビューした。ここにご紹介するマシンは、おそらくそのマイナー チェンジ版と呼べる101Eタイプである。なお、別項でもご紹介するが、カ シオ計算機のラインアップには、よりコンパクトなデスクトップタイプである 101シリーズというものも存在する。しかし、ここに掲載した101Eと後 に登場する101シリーズとは、似て非なるデザインとなっている。 101Eの正確な製造年月は不明だが、1969年にはよりコンパクトな電子 ソロバン、Casio AS−A型が発売されているので、おそらくそれ以前 の製品であろうと思われる。ここでは、101が登場したのが1966年のこ とであったため、101Eも同年の製造とした。写真1は、その外観。本体は 17インチモニタ程度の大きさがあり、両手でかかえるようにしないととても 持ち運びできない。正確な重量は計測していないが、実家で飼っている猫の雪 丸(本体重量約6kg)を持った感じと比較するに、おそらく5〜6kg程度 であろう。写真2では10桁のニキシー管全てに数字を表示させているが、表 示窓周りのデザインもいかにも時代を感じさせて実に野暮ったい。 本マシンはYahoo!のオークションにて落札した。その巨大な図体に恐れ をなしたのか、競合する入札者は現れず、平穏無事に落札できたのは良かった のだが、届いたブツを見てその余りの大きさにしばし唖然としたものである。
写真3、4は101E本体の側面と背面を撮影したもの。ケースはプラスチッ ク製で、製造後30年以上も経過しているため若干の黄ばみがある。全体的に 丸っこい形をしており、スペースエイジを彷彿とさせる。本体側面にある4ケ 所のネジを外すことによって、上部カバーをガバッと取り外すことが可能。電 源コードは本体側面から生えており、コードは本体から分離できない。写真5 は、本体背面添付された銘版のアップ。本機のシリアル番号は「E 7424 」となっていた。
101Eには表示デバイスとしてニキシー管を使用している。表示桁数は10 桁。LEDもFL管も無い時代であったため、当時の電卓は表示装置としてプ リンタを使うか、もしくはニキシー管を使用していた。本マシンに搭載されて いるニキシー管はかなり大振りなタイプで、MT管くらいの大きさがある。高 さ4cm、太さ1.5cm程度はあるだろうか。写真6、7は0〜9の数字を 全部表示させた時のニキシー管のアップ。内部構造が良くわかるように、ケー ス上面を取り外しニキシー管を剥き出しにして撮影した。管内に0〜9までの 数字型の電極が詰まっているのがわかる。ニキシー管電極への配線は1本1本 手で半田付けされた上に絶縁チューブを被せており、製造にはとんでもない手 間が懸かっていることが想像できる。
写真8、9は、本体カバーを取り外したところ。内部構造が剥き出しになって いるが、ニキシー管表示部分の後方に注目されたい。あたかも昔のミニコンの 中身を見るがごとくである。カードエッジコネクタの接続された基板が左右に 8枚ずつ並んでラックに収まっているのだ。写真10は、搭載されている基板を アップで撮影したもの。個々の基板を見てもLSIに相当するデバイスは1個 も無く、すべてトランジスタとダイオードで組まれている!トランジスタは東 芝製2AS731が確認できた。さすがにゲルマニウムトランジスタは使用さ れておらず、シリコントランジスタにはなっているものの、集積回路が1個も 無いというのは驚きだ。写真11は、基板の配線面。配線間隔はかなり広く、見 るからにおおらかなパターンとなっている。 1960年後半〜70年代の電卓競争では、専用のLSIを使用することによ って技術を持っていない会社でも容易に電卓を作ることができ、泥沼の価格競 争に陥った。すなわち、基本的な機能は全てLSIチップの中に収まっている ので、どこの会社が作っても他社と同等の機能を実現できたのである。その結 果、「売れる製品=低価格製品」という単純な図式が出来上がり、各社とも無 理を承知での価格競争を行なった。それに加えて、電卓の製品寿命は極めて短 かった。新しいLSIが登場し機能が拡張されると、すぐにそれを搭載した製 品が発売され、旧製品はゴミと化す。かくして、雨後の筍のように乱立した電 卓メーカーのほとんどは、大量の在庫をかかえて倒産するというケースに陥っ たのである。 このCasio 101Eは、こうしたLSIが登場する前、まさに熟練した 技術者が最も効率の良い回路を設計し、使用部品を1個でも削減しようとやっ きになっていた時代の製品だったのである。この時代の製品は、設計の良し悪 しが部品数に端的に表れるので、コスト削減には優れた回路設計が必須だった のだ。この回路設計技術にコアコンピタンスを持つ企業は、ある程度の優位性 を持って製品を供給することができた。この後に訪れる仁義無き価格競争と比 較すれば、極めて健全な発展であったと言えよう。
写真12は、本体裏面にあるカバーを外してシステムバス部分を見たところ。カ ードエッジコネクタにケーブルが手半田で配線されている。コードの束ね方に 職人の技を感じ取ることができる。これを見て思い出したのが、その昔自作し たZ−80マイコン。まさにこのようなバスを作り、各機能ごとに分かれた基 板を挿していったものである。しかし、この電話交換機のようなケーブル配線 には、鬼気迫るものがあるな。 この個体は寄る年波には勝てず、キーボードの一部に不具合があった。テンキ ー部分の「4」「5」「6」を押すと「7」「8」「9」と表示されてしまう のである。おそらくは単純な接触不良もしくは断線のためと思われる。電源は キーボード一番左端の「PW」キーを押し下げONにする。0.5秒ほど、ニ キシー管にランダムな数字が表示された後、0リセットとなる。計算のアルゴ リズムは、現代の電卓と比べると若干ことなり特殊だ。特にメモリーに数値を 格納して計算する方法は、現行機種と異なる値数処理が要求される。この辺は 回路構成に合わせて、人間が操作を行なっていくしか方法が無かったのであろ う。