IBMの初期DOS/Vマシン、「PS/55 TYPE 5510-Z02」に付属していたと「思われる」ディスケット群。筆者がこのマシンを購入したのは、1992年頃だったように記憶している。なにぶん、22年以上前のハナシなので、記憶が曖昧になりつつある・・・。このマシンについては、以前本コラム「退廃的互換機趣味(其之三十一) (2010/01/23) 【PS/55 TYPE 5510 発掘編】」でも紹介した。

■退廃的互換機趣味(其之三十四) (2014/02/23)
 【IBM DOS J4.0/V】

 2010年01月を最後に、突如中断した「退廃的互換機趣味」が、なぜか4年の歳月を経て復活する。突然復活の理由は、特に無い。たまたま整理をしていたら、IBM DOS J4.0/Vのディスケットが出てきたので、ヴァーチャルマシンで起動を再現してみただけのことである。

 「DSO/V」という言葉も、今や完全に死語となった。「日本でのIBM PC互換機の歴史にDOS/V有り」といっても、判るヒトは今やロートルオヤジだけであろう。なぜ「ドスブイ」と呼ばれるようになったのか?そもそも最初からその読み方だったのか?名付け親は誰なのか?そして日本で最初に発表されたDOS/Vは、どのようなものだったのか?これらの疑問全てを正確に答えることができるヒトは、もう立派な互換機界の「語り部」である。

 今はWikipediaっていう便利なモノがあるので、その内容が全て真実とは限らないものの、概要程度の調べ物については、とっても役に立つ。上記の疑問も全て、Wikipediaの「DOS/Vの登場」を読めば、ある程度は判る。曰く、

・最初のDOS/Vは日本IBMのPS/55シリーズの1機種(ラップトップ2代目である5535-S)の専用OS「IBM DOS J4.0/V」として、1990年12月に登場。
・DOS/V登場時のマイナーバージョンは「IBM DOS J4.05/V」
・マイナーバージョン「IBM DOS J4.07/V」の頃には大半のPC/AT互換機で(正式保証は無いが)実用的に稼働。
・日本IBM社内では当初は「スラブイ」とも呼ばれた。「DOS/V」は当時のパソコン通信であるNIFTYや日経mixなどのネットワーカーによる命名。
・「V」は「VGA」(最大画面解像度は640x480ピクセル)を意味すると言われているが、他方「V-Text」のVであるという説も有る。
・日本IBMが「DOS/Vは登録商標にしない、自由に使用して欲しい」と宣言したこともあり、その後この言葉はそこら中で使われることになる。(イイハナシダナー!!!)


今回発掘されたディスケットが付属していた、「PS/55 TYPE 5510-Z02」。IBMの一般コシューマ向け入門機と位置づけられたマシンだった。5510-ZシリーズにはZ02/ZJ2、Z04/ZJ4の、大きく二種類が存在したが、その違いは40MBの内蔵HDDの有無だった。このモデル以外に、5510-SにもDOS/Vが付属して販売された。

「PS/55 TYPE 5510-Z02」に付属してきたディスケット、その1。IBM DOS バージョン J4.6/V(連文節変換プログラム付)のシステムディスケット本体。3枚組みで箱の中に入っている。システムのインストールに使用する。
拡大

「PS/55 TYPE 5510-Z02」に付属してきたディスケット、その2。システムは、上の白いラベルのディスケットに格納されており、FDベースのDOS J4.06/Vが起動する。下の2枚はマシンのチェック用で、ハードウェア関連機能をテストするためのもの。
拡大


 先ずは、ヴァーチャルマシンにIBM DOS バージョン J4.6/V(連文節変換プログラム付)をインストールしてみよう。これはカンタンだね。使用したのはVirtual PC。RAMを8MB、HDDを80MBに設定し、ヴァーチャルHDDを作成する。

 DOSのインストール画面を見るのは何十年ぶりだろうと言うヒトもおられるだろうから、以下にインストールの様子を淡々と貼って行く。


導入ディスケットでヴァーチャルマシンを起動したところ。「IBM」のロゴが、その後登場するDOS/V J5.0以降のものと異なっている。「PS/55 TYPE 5510-Z02」に貼付されてきたDOSのマイナーバージョンは、J4.06/Vだった。初めて出たDOS/VのバージョンがJ4.05/Vだから、若干のチューニングが施されているハズである。

IBMでは、フロッピーディスクとは言わない。ディスケットと呼ぶ。これは、IBMの登録商標となっている。












IBM J4.06/Vのシステムは、2枚構成になっている。導入の後は、操作ディスケットの挿入を求められる。


DOSのインストーラーは一旦終了するので、今度は連文節導入プログラムのインストールに移る。連文節導入プログラムのディスケットを入れて、installコマンドを起動する。







これで、インストールは全て終了。


 インストール後、再起動すると、懐かしい「dosshell」が起動する。取りあえずシェルを使うようなコトは無いので、コマンドプロンプトに降りる。バージョンをチェックすると、commandではJ4.06/Vとマイナーバージョンまで返ってくるが、単にverコマンドではJ4.00/Vと表示される。細かい所だけど、気になるな。

 今回は、連文節導入プログラムもインストールしたので、コンベンショナルメモリがかなり減っているのが判る。vmapで見ると、460KB程度しか残っていない。

 システムファイルのうち、2個の隠しファイル、即ちIBMBIO.COMとIBMDOS.COMの作成日は、1990年10月30日。バージョンは4:01とある。COMMAND.COMの作成日は1991年2月28日で、これもバージョンは4:01だ。




dosshell。DOSシェル。ドスシェル・・・まあ、使えないね。。。

command.comとverの2つで、バージョン情報を確認。表現が微妙に違うな。

生成されたconfig.sysの中身。英語キーボードを使用する際は、keyb.comのパラメータを、us、437に変更するのは常識であった。

autoexec.batの中身。

vmapの表示。DOSの時代はコンベンショナルメモリの不足が一大事だったので、vmap等のメモリ確認ツールは重宝した。

ついでに、フリーソフトのファイラーの定番であるFDで、2つの隠しファイルの作成日とバージョンを確認する。

モチロン、chevコマンドもある。

意味ないと思うけど、ヴァーチャルマシン上で当時のベンチマークテストの定番、「3DBENCH」を動かしてみた。ホストマシンは、intel Core i7-3770 3.4GHzである。画面は狂ったように高速で動いた。アタリマエか・・・

これも当時定番のベンチマークテスト、「Landmark System Speed Test」。27,280MHzの80486相当だそうである。まあ、いい加減な値だけど。Videoに至っては、表示不可能。

IBM DOS バージョン J4.0/V ライセンス情報資料。
PDF

IBM DOS バージョン J4.0/V 追加情報資料。
PDF


 せっかくなので、手持ちのDOSのセットアップ開始画面を貼って行く。IBM DOS J5.00/Vは、例のでっかいIBMロゴが使われていない。MicrosoftのMS-DOS Ver 6.2は、IBMのDOSとフォントが微妙に異なっている。


今回発掘した IBM DOS J4.06/Vのセットアップ起動画面。1990年12月発売。

DOS/Vとして普及したバージョン、IBM DOS J5.00/Vのセットアップ起動画面。IBMの巨大なロゴが無い。1991年10月発売。

PC DOS J6.1/Vのセットアップ起動画面。IBMのロゴがモダンになって復活。このバージョンから、PC DOSという名称を用いるようになる。なお、PC DOS 6.0/Vは存在しない。1993年12月発売。

Microsofot MS-DOS 6.2/Vのセットアップ起動画面。Microsoftらしい素っ気なさ。マイクロソフト版DOS/Vの最終バージョン。Microsoft版は、V6.0は存在するが、V6.1は無い。1993年発売。

PC DOS J7.0/Vのセットアップ起動画面。IBMのロゴがモダンになって復活。アップグレード版はCD-ROM媒体で供給された。1995年08月発売。


 DOS/Vの開発は艱難辛苦の連続だったと言う。残念ながら、現在その詳細を記した書籍は、とうの昔に絶版となってしまっており、入手することは困難だ。DOS/V開発の物語を最も詳細に、かつIBMの社内事情まで含めた形で総括した書籍は、電波実験社が1998年7月臨時増刊号として発行した「PCWAVE さらば愛しのDOS/V」のみであろう。電波実験社(後のラッセル社出版)は1999年04月に倒産し、PCWAVE自体も無くなった。その9ケ月前に特急で刊行された本書は、今となっては開発秘話を知る上で、事実上ほぼ唯一の書籍となってしまった。

 当時、筆者もこの臨時増刊号にコラムを寄稿した。さらに、編集部からの要望に応え、自身がコレクションしていた古いPCパーツの写真撮影にも協力した。この臨時増刊号の発行は、ほぼ当時の編集長の独断で決定されたようだった。そのため、ただでさえ月刊紙の編集で忙しい社員は、まさにてんてこまいの状態になっていたのを覚えている。

 なぜ、これほど無理なスケジュールで臨時増刊号を出版したのか?今考えると、その理由は良くわかる。1998年の当時でも、DOS/Vがどのようにして生まれてきたのか、真相を知るヒトはほとんど居なかったのだ。わずかに開発関係者と、初期DOS/Vを担いだ人柱の方々しか、舞台裏を知らなかった。そして、1998年当時はまだ、そういった開発関係者が、現役で活躍していた。「ODS/V開発関連のハナシをまとめるには、今しかない!」おそらく編集長はそう思ったのだろう。結果として、この臨時増刊号は、DOS/Vについて、極めてコアな部分までまとめられた、大変貴重な雑誌となってしまった。

 手元にある「さらば愛しのDOS/V」を読むと、IBM PCマシンにソフトウエアで日本語を表示するプロジェクトは、何回も挫折してるのが判る。そのため社内では、「潜水艦プロジェクト」と呼ばれていたそうだ。企画を出しては脚下され、再度チャンスが来るまで潜行している様が、そう呼ばれたのである。

 DOS/Vの始祖鳥とも呼べるものは、1987年10月には既にIBM社内で実現できていた。このプロトタイプは、さしずめ「DOS 3.3/V」と言っても良いものだった。PC DOS Ver3.3は英語版しか存在しないが、IBMの社内では、既に16ドットの日本語フォントを表示したDOS 3.3/Vがあったのである。「さらば愛しのDOS/V」には、その時の貴重な画面写真が掲載されている。結局このバージョンは、発売を見送られた。当時のCPUでは、動作のパフォーマンスが低かったというのが、その理由の一つだ。その後、DOS/Vのプロジェクトは2度の挫折の経て、3度目にしてようやく発売に漕ぎつけることができた。これが、1990年12月に発売された「日本語DOS Ver.J4.05/V」だった。



電波実験社のPCWAVE 1998年07月臨時増刊号「さらば愛しのDOS/V」。今となっては入手困難な絶版本になってしまった。最も、内容が余りにもマニアックであったため、発売当時でも購入したヒトは少ない。日本におけるDOS/Vの開発を記録した資料としては、おそらく最も詳しいものだと思う。

電波実験社のPCWAVE 1998年07月臨時増刊号「さらば愛しのDOS/V」 P23に掲載された、IBM DOS 3.3/V。DOS/Vの始祖鳥、プロトタイプに相当する。VGA画面を使用し、16ドットの日本語フォントをイメージで表示するという、DOS/Vの基礎が、1987年10月に確立されていた。




<< Menu Page



Copyright (C) Studio Pooh & Catty
1996-2014