■それは間違ってさえいない (2008/02/20)

 最近になって、現代物理学、超ひも理論について懐疑的な本が、続々と出ているような気がする。これらを筆者は「暴露本」あるいは「懺悔本」と密かに呼んでいる。この「ストリング理論は科学か」もこの類の本に属するが、著者が物理学者では無く数学者である点が面白い。そのため、内容も数学的な色彩が濃く、特に群論については、ある程度の基礎知識が求められる。

 本書を買ったのは、CDで言うところの「ジャケ買い」そのものだ。帯の部分に記載された「それは間違ってさえいない」の一行だ。本書の中でも記載されているが、往年の物理学者パウリは大変厳しい人間として知られていた。講演を聴講している最中でも「間違い」だとか「大間違い」とか、その場で声を上げて指摘していたそうである。そのパウリが、若手物理学者の論文の評を求められて言った究極の一言が、この「間違ってさえいない」という言葉だったそうだ。今流に言えば「ダメぽ」、「死亡フラグ」とでも言おうか。本書の著者は、ストリングス理論を「間違ってさえいない」と一刀両断する。

 内容はかなりユニークだ。本書の中間である11章「ストリング理論−歴史」の冒頭で、「ここからの話しは、うまく行かなかったアイデアの歴史と、それが今日の理論物理学に与えた影響を論じるので、肯定的な視点を期待する読者は、この辺が本書の見切りどきだ」と、ご丁寧に忠告までしている。最も、筆者のようなひねくれモノとしては、ここからが面白くなるところなのだが。。。

 既出「迷走する物理学」でも述べられているように、本書の著者もスーパーストリングス以外選択の余地が無く、それを選ばなければ安定した生活も収入も得られない現状を嘆く。四半世紀に渡って何の成果・予測を出していないこの理論は、「反証されえない理論は科学的ではない」という、いわゆるカール・ポパーの反証主義の視点から言って、何も得るものが無いと言い切る。この停滞から前進するためには、超対称というイデオロギーを捨て、20年間も支配してきた超対称理論を放棄すべきであると訴えている。唯一救いがあるのは、量子論と数学とが交流しはじめたことであり、これを元に新たな対称群を見つけるのが、今後の取るべき道のひとつであると結論している。

 自分は、物理学は専門じゃないけど、11次元超重力だのメンブレインだのといったそのユニークな発想に興味を持ち、今まで色々な現代物理学の本をチェックしてきた。最初の頃は前向きに読んでいたものだったが、超対称理論が出てきた頃から、ちょっと変じゃないか?と思うようになる。スクォークだとかスニュートリノといった超対称粒子が出てくる段になって、いよいよもってきな臭くなり、レオナルド・サスキンドの「宇宙のランドスケープ」を読んでから、こりゃダメだと思うようになった。本書も既出の「迷走する物理学」も、サスキンドの考え方を名指しで批判している。どうも、一番行き詰まっているのは、「人間原理に陥ったストリング理論家」というのが、現状のようだ・・・


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