■桜見物、それと丸ヶ崎薬師堂にまつわる恐いハナシ (2005/04/09)

 今回はプチ「新日本紀行」みたいな内容になってしまった。
 ( ̄ー ̄)

 この季節になると恒例の行事となるのが「お花見」だが、混んでて騒いでて、人大杉なの判ってて、それでも行くんだから困ったモンだと思う。かくいう筆者も、別に行かにゃならんワケでは無いのだが、何となく毎年見にいってしまうのだ。特に今年は土日に満開が重なり、絶好のお花見日和となった。

 実は、毎年お花見に行く決まった場所がある。筆者はちょっと前まで、埼玉県某所にチンクェチェントとビートを保管していたことがあるのだが、その時にハケーンした場所だ。どこかは、教えたげない。。。(丶`∀´)。だって、毎年一人で楽しんでいるのに、このページ見て来年から花見客で人大杉になっちゃったらイヤだからねぇ。。。

 さいたま市見沼区は、最近行われた町名改正に伴うバタバタで、TVにも取り上げられたところであるが、この地域には広大な畑が広がり、ドライブしていて実に気持ちが良いところなのだ。東京近郊でこれだけリフレッシュできる場所も少ない。その見沼区の田園地帯、綾瀬川の付近に「丸ヶ崎薬師堂」はポツンと建っている。堂の前の道は、畑の中を走る気持ちの良い一本通で、今から6年ほど前のある秋の日にビートでぶっ飛ばしていて、偶然ハケーンした場所だ。本当に周囲には何も無く、見渡す限りの畑また畑といった場所なのである。

 その時以来、筆者はこの場所がいたく気に入ってしまい、クルマを出す際には必ずといって良いほど訪れたものだ。この薬師堂の前には、一本の大きな桜の木が植わっている。一本だけ、というのが良い。群れていないところが良いのだ。今年も何となく、ここに来てしまった。既にクルマは全部都内へ移動してしまったのにもかかわらず、である。

 さて、この丸ヶ崎薬師堂であるが、どのような由来があるのか、ある時調べたくなってきた。いわゆる郷土史を記したページは、WEB上でいくつも見つけることができたのだが、それらからリンクを辿るうちに、実に恐ろしい民間伝承がこの地域にあったことがわかってきた。それを今回はご紹介しよう。

 事の起こりは、地図上でこの「薬師堂」の位置を確認した時から始まる。昭文社発行の地図では、「子なます神社」と記載されているのだ。ネスカフェで有名なネスレのHPによると「なます(膾)」とは、下記のように定義されている。

「新鮮な生の魚介類や野菜類を細かく切って、二杯酢や甘酢、酢味噌などの酢で和えた料理のことです。生の食材を酢(醋)で調味したことからなますの名があるとも言われていますが、今では「酢のもの」と呼ぶ方が多いようです。」

 子なますとは、なんだか穏やかじゃない。曰くありげな名前である。ということでさらにWEBを調査したところ、以下のHPをハケーンした。

辻谷の寅子石(榊 政子)

このHPは「秦 恒平 文庫」のコンテンツの一つとして紹介されているもので、埼玉県在住の詩人が調査した民間伝承として掲載されている。その内容はと言うと、こうだ。

 昔、この近辺の長者の養女に「寅子」という、それはたいそう器量好しの娘がいたそうだ。この寅子を我が物にしようと、地元の若い衆の間では、争いが絶えなくなってしまったとのこと。そのことを知った寅子はたいそう悲しみ、自害してしまう。その際に残された遺言に従い、長者は寅子の腿肉を膾(なます)にして、若い衆にそれと知らせずに振る舞ったということなのである。男たちは食事の後にこのことを知り、恐れ驚いて青石の供養塔を建て、寅子の冥福を祈ったとのことである。後に円空がこの地を訪れた際に、手のひらに乗るくらいの薬師像を作り納めたそうだ。

 おそらく、この薬師堂の中には、円空作の薬師像が保管されていたのであろう。この「寅子伝説」であるが、実際の事件かどうかは700年以上経過した現在となっては不明。実際にあったのかどうだか判らないということで、この地には「有無(あんなし)」といった地名も残るという。こうして調べてみると、何気ない郊外のお堂にも、意外に深い曰く因縁があるものだ。。。。

 調査ついでにもう一点。丸ヶ崎薬師堂の前には1体の石仏が置かれているのだが、これも良く見るとかなり古く曰くがありそうだ。さっそくWEB上で調査してみたところ、「岩槻型青面金剛像」と呼ばれている物であることが判明した。詳細は「岩槻型青面金剛について (中山正義氏による)」に掲載されているので、そちらをご覧頂きたい。それによれば、青面金剛像とは、その彫刻デザイン上、「剣人六手」と「合掌六手」との二種類に大別されるそうなのであるが、岩槻型と呼ばれるものは、「合掌」でありながら「人身」を持つ像が特徴となっているそうである。制作されたのは元禄時代から享保時代がほとんどとのこと。この丸ヶ崎薬師堂にある岩槻型青面金剛像は元禄二年の制作で、各手の持ち物は「剣・人」「合掌」「矢・弓」の並び。また下段の猿の様態は「口・耳・目」となっている。

 いやしかし、WEBページ恐るべし!!!情報化時代では、意志さえあれば何でも調査することが可能なのだと実感する回でした。。。



見沼区丸ヶ崎新田薬師堂周辺
丸ヶ崎薬師堂の周辺はこ〜んな感じ。広い畑の中の一本道。なぜか畑のど真ん中に椿の木が一本、植わっていた。背後に薬師堂とサクラの大木が見える。


丸ヶ崎薬師堂と桜の木
満開をちょっと過ぎたくらいの、丸ヶ崎薬師堂の桜。地元の人によれば、かなり前に苗木を植えたものが、ここまで大きくなったとのこと。もっと大きな木もあるし、群生して咲いている方が迫力があるのは事実だが、古びた薬師堂の前のこのサクラほど、絵になる木は無いと思っている。


薬師堂の前にある「岩槻型青面金剛」
元禄二年の製作とのこと。「剣・人」「合掌」「矢・弓」を持つタイプ。


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