リストマーク 旧日立航空機立川変電所 (2004年01月)

写真1.旧日立航空機立川変電所全景


 旧日立航空機立川工場変電所は戦争史跡としては有名で、各種メディアに幾度となく紹介されている。他の多くの戦争史跡と異なり、この変電所は取り壊される運命を免れたばかりか、平成7年には市の文化財に指定され、保存されることになっている。建物本体は、わざと当時のまま残されている。戦時中の激しい爆撃の跡を残し、後生に伝えるためだ。このようなこともあり、立川工場変電所は、極めて「生々しい」廃墟であると言える。

 旧日立航空機立川工場変電所は、西武拝島線もしくは多摩都市モノレールの「玉川上水駅」近傍にある、東大和南公園内にある。玉川上水駅からは、徒歩10分程度といったところだろうか。

Mapion上での位置は、下記の通り。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=35/43/54.081&el=139/25/27.294 &scl=10000&coco=35/43/54.081,139/25/27.294 &icon=star,0,,,,&bid=Mlink

 公園にある広々としたグラウンドやテニスコートの中に、一つだけ異様な姿をさらすコンクリート建築が佇んでいるが、これが変電所だ。休日に訪れると、回りの長閑な雰囲気とのギャップに戸惑いすら覚える。建物壁面には、無数の銃弾の跡が残り、コンクリ壁面が剥がれ落ちた所も見受けられる。

 東村山市教育委員会による解説板に依れば、この建物は、1938年(昭和13年)、大森から移転してきた東京瓦斯電気工業株式会社(通称「瓦斯電」)の変電所であった。瓦斯電は翌年、日立製作所と合併し、航空機部門として日立航空機株式会社が創設され、この工場も、日立航空機株式会社立川工場「立川発動機製作所」と改名する。ここでは主に、航空機のエンジンを製造していた。北隣にあった設備で受電した66,000ボルトの電気を、3,300ボルトに変電して工場内に供給する重要な役目を果たしていたそうだ。

 変電所内部には通常は入ることができず、外側の窓から覗き見ることしかできないが、2階部分に変電設備が設置されていることが判る。変電所の北側(裏側)には、受電した電気を建物内部に引き込む造作が設けられている。変電所の正面には階段が設けられており、1階以外にも2階へ直接入ることができるようになっている。

 壁面に残る無数の弾痕は、1945年(昭和20年)2/17、4/19、4/24の3回に渡る戦闘機爆撃によるもので、特に最後の爆撃はB-29 101機編隊による爆弾投下により、工場全体は壊滅的打撃を受けたそうである。弾痕は変電所南側に集中しており、爆撃機の侵入が南方からであったことが判る。変電所周囲には、碍子やケーブル、ギアといった、当時日立航空機立川工場で使用されていたと思われる部材が、現代アートのように一見乱雑に並べられている。変電所の前には、かつて工場敷地内で使用されていた給水塔の一部が置かれている。これは平成12年に取り壊された際に、記念として残されたものだそうだ。

 取材に訪れた日は休日ということもあり、、東大和南公園内にはキャッチボールやテニスをする家族連れで賑わっていた。そんな中で数人がこの変電所を見学していた。公園の敷地は、かつて日立航空機立川工場の棟が並んでいた場所であるが、今となってはその面影は全く無い。

写真2.旧日立航空機立川変電所正面
中央入り口の左側には、既に取り壊された給水塔の一部が展示されている。


写真3.旧日立航空機立川変電所正面二階部分のアップ
二階入り口部分をアップで撮影。激しすぎる爆撃で、コンクリートがボロボロに砕け落ちた跡が残っている。


写真4.二階右側内部の様子
二階にはまだ変電設備が残されているようで、窓越しにコードや碍子類が見える。


写真5.一階正面入り口上部にある看板
これが当時のものであったのかどうかは不明。庇にはむき出しの電球が付いているが、当時はおそらくガラス製のホヤが付いていたのだろう。


写真6.正面にある階段


写真7.変電所裏側
裏側には受電設備が残されている。正面と異なり、裏側の損傷は少ない。


写真8.受電設備のアップ


写真9.正面入り口横に展示された給水塔の一部分
平成12年に取り壊されたという給水塔の一部が、展示されている。給水塔の表面にも爆撃の跡が残る。


写真10.一階正面部分の爆撃の痕跡
鉄筋が剥き出しになっている。



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