帝國産金興業大仁鉱山跡 (2003年2月) |
2003年2月、撤去された後の大仁鉱山を再訪した。大仁鉱山と帝産ヘルスセンターの建造物は1999年9月に撤去されており、ここに掲載した写真は撤去後3.5年経過した後のものである。鉱山跡へ至る道は以前と変わりは無かったが、かつて工場があったところはコンクリートの台座がむき出しのまま放置され、すっかり整理されてしまっていた。あれほど陰気臭かった工場建物の周囲も、造成しなおされており、新たにレストランと思われる建物もできていた。(なんでも地ビールレストランという話だが、興味が無いので調査はしていない。) 鉱山前の空き地は、このレストランの駐車場として利用されていた。解体された後のコンクリートの土台は、今見るとかなり異様な存在であるが、さすがにこの土台までは解体することができなかったのだろう。鉱山施設として併設されていた、変電所跡と倉庫も、跡形もなくなっていた。あの変電所は独特のデザインで存在感があったので、取り壊されてしまったのは実に残念である。 |
写真1:コンクリートの土台がむき出しになった大仁鉱山跡。手前の空き地は菜園として活用されている。 |
写真2:かつての大仁鉱山工場正面。ここには一面ガラス窓を備えた異様な建物が建っていた。未舗装であった前の道路も、きれいに整備されていた。 |
写真3:建物右側に設けられていた階段。1999年訪問時には気が付かなかった。きっと藪に埋もれていて、見落としたのであろう。 |
写真4.封印された正面入り口のコンクリートブロックは以前の通り。 |
写真5.変電所跡から見上げた大仁鉱山跡。中央に見える、2つの穴がある階層が、かつてウインチとポンプが放置されていた第二層だったところである。 |
写真6.広角レンズで撮影した大仁鉱山全景。当日は前の空き地に残っていた桜の大木の枝を剪定する作業が行なわれていた。 |
写真7.倉庫と変電所があった場所。すっかりキレイに片付けられて、空き地になっている。しかし、地面には碍子の破片が数多く残されていた。手前に見える基礎の跡は、かつて倉庫だった場所。 |
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