リストマーク 東京都水道局大谷口給水塔 (2005年06月)

写真1.大谷口給水塔全景


 2005年6月7日付け朝日新聞に、また東京から歴史的な建造物が消えるということで、板橋区にある「大谷口給水塔」の記事が掲載された。都内の給水塔については、既出の「駒沢給水塔」の他に、「野方給水塔」と「大谷口給水塔」の3つが存在することは知っていた。そのうち訪れれば良いと考えていたのだが、この大谷口給水塔は2005年6月中に撤去されるという。そのようなわけで、梅雨入り前を思わせる曇天の日、取材を行った。

 大谷口給水塔は板橋区の住宅街の真ん中に位置する。最寄り駅は東武東上線大山駅もしくは東京メトロ有楽町線千川駅となる。宅地の中に埋もれてしまっているため、見つけるのに若干苦労する。大山駅からは、商店街アーケードを抜け、川越街道を渡った所になる。駅からは徒歩で20分といったところか?

Mapion上での位置は、下記の通り。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=35/44/33.163&el=139/41/39.008& scl=10000&coco=35/44/33.163,139/41/39.008&icon=star,0,,,,&bid=Mlink

 大谷口給水塔は昭和6年6月に竣工された。設計者は、駒沢給水塔と同じ近代水道建築の祖、中島鋭治博士である。この給水塔は昭和47年7月に、老朽化のため使用が中止されている。大谷口給水塔は、関東大震災後の人口増加による水不足解消のために敷設されたそうだ。当時、多摩川と荒川を結ぶ荒玉水道という上水道計画がスタートし、大正14年に着工、昭和6年、すなわち大谷口給水塔の竣工の年に完了している。多摩川の砧浄水場から引かれた水が、中野区野方給水塔を経て、この大谷口給水塔に至っていたわけである。

 上部にドームを抱くレトロな外観は、高さ約33m、直径約15m、貯水量2845トンと堂々としたものだ。取材に訪れた日は、新聞にも掲載されたためか、数人のカメラを持った見学者が、盛んに写真撮影を行っていた。解体のための準備作業も開始されており、足場の建設が行われているところだった。以前は敷地内は公園だったそうだが、今は工事現場として壁で覆われており、給水塔に近づくことはできない。おそらく、数日の内に塔全体は足場に覆われ、解体が始まるものと思われる。

 給水塔は使用されなくなってから久しいせいか、ドーム部分のガラスも破損し、廃墟然とした外観となっている。しかし、重厚なデザインは未だに威厳があり、取り壊すには誠にもったいない建築物だ。駒沢給水塔、野方給水塔の2つについては、保存されることが決まっているそうだが、この給水塔も残して欲しかった。

 地域住民にとっては大変馴染み深い目印になっているようで、給水塔前を走る路線バスの停留所も「水道タンク前」と命名されている。今後の敷地利用だが、都水道局では約70億円の予算を投じ、大谷口給水塔跡地に配水池(有効容量35,000立方m)とポンプ棟などを整備する予定となっているそうだ。

写真2.住宅街の中に佇む大谷口給水塔
給水塔の付近は住宅密集地帯である。かつては池袋駅からも見えたという給水塔は、今ではマンションや家屋の中にすっぽりと埋まってしまっており、遠望することはできない。給水塔裏側は、この路地からかろうじて見ることができる。このアングルは写真や絵で紹介された有名なところだそうで、取材当日も熱心にスケッチを取られている方がいた。


写真3.給水塔上部
バス通り沿いから見た給水塔表面上部。ガラス類は全て割られてしまっていた。それにしても、このように絶妙な形を持つ建築物を取り壊してしまうのは、大変に惜しい・・・


写真4.給水塔上部のアップ
写真3をアップでとらえたもの。寺院建築のようだ。


写真5.給水塔上部裏側のアップ
給水塔裏側部分は、おそらく階段室と思われるものが設けられている。かつてはガラス窓が入っていたと思われるが、現在は全て板で塞がれている。それにしても、オシャレな造形だ。


写真6.給水塔上部裏側のアップ
逆光気味若干写りが悪いが、階段室からドーム周囲に巡らされた回廊へ通じる出入り口が見える。階段室最上階は、窓が3つ並んでおり、他の階とは造形が異なる。


写真7.バス通りより眺めた給水塔
給水塔はバス通りに面して建っている。


写真8.バス停の表示
その名も「水道タンク前」。これを見ても判るように、地元住民の生活にすっかりとけ込んでいたようだ。給水塔取り壊し後も、配水池とポンプ棟が施設されるとのことだから、バス停の名前もおそらくこのまま残るであろう。



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