リストマーク 六合廃村(1999年10月)

写真1:六合村の廃屋

 六合と書いて「くに」と読む。ここに掲載した廃村は、国土地理院発行の地図上ではただ単に「六合」とだけ書かれており、ルビが振られていない。最初なんと読むのか判らなかったのだが、全く別の地方で草津温泉の近くに「六合村(くにむら)」という地名があることから、おそらくはこう読むのだろうと推測した。

 六合の集落は長野県小谷村にある。上述した国土地理院発行2万5千分の一の地図では、「雨中」の地域図に掲載される。豊科から糸魚川街道(国道147号線)を北上し、JR中土駅の手前を右折し奉納(ぶのう)温泉方面に向かう。すると途中に渓谷をまたぐ橋を通過するはずだ。橋を渡り終えた直後、右側に土谷川へ下りる未舗装道路がある。ここが、六合村への入り口となっている。道は土谷川を渡り、山の尾根に沿って続く。両側は山林になっているが、注意深く進んで行くと、左手に倒壊した家屋の一部が見えてくる。ここが六合廃村である。


六合村の位置(国土地理院発行:2014年版地図)

六合村の位置(国土地理院発行:1990年版地図)

六合村の航空写真(国土地理院発行:1975年版撮影)
1975年に撮影された航空写真では、六合村に6戸以上の民家が写っている。

写真2:六合村に通じる道

写真3:六合村の廃屋

 道路から廃村までは、人がやっと歩ける程度の小道が残っている。住む人のない完全な廃村であるにもかかわらず、このような小道が残っていることに、最初は少々意外な感じがしたのだが、この理由は後ほど判明した。昭和63年に修正測量した地図上では、ここに約6世帯の家屋があったことになっている。しかし、1999年10月に訪れた時には、3つの廃屋が残っているだけで、後は撤去された後だった。道路からは道の両側に生い茂った草木のため、村の存在を確認することすら困難であったが、村の中心部に入って見ると、撤去された家屋跡が広場のようになっており、意外と開けていた。

 さて、道路から村へ通じていた小道であるが、辿って行くと墓地につながっていた。墓地と言っても、先祖代々の墓が数個置かれているだけの小規模なものであったが、どの墓もきちんと手入れされており、おそらくは秋のお彼岸に供えられたであろう花が生けてあった。村人は移住してしまったが、お墓までは移動させることはできなかったようである。そのため、以前ここに住んでいた人たちは、定期的にお墓参りに来ているようである。どのような事情で、ここが廃村になったのかは、今となっては知る由も無い。


写真4:六合村の廃屋

 取り壊し途中の廃屋の一つに近づいてみた。廃材の中には、日用品等が混ざっており、まだここで生活していた頃の残りが漂っていた。このあたりの道路には、所々に「私有地につきわらびを取らぬこと」と書かれた看板がかかっていた。村は無くなってしまったが、山菜を取りに時々人が入ってくるようである。しかし、我々がこの村を訪れている間は、だれ一人として会うことは無かった。


写真5:六合村の廃屋

 ところで、六合廃村まで延びてきる未舗装道路が、一体どこまで続いているのかを確かめてみることにした。というのは、この道路、未舗装ではあるものの、意外に良く整備されているからだ。道は尾根に沿って続いていたが、途中より上り坂となり見晴らしも良くなってきた。最近作られた道路のようで、カーナビにも地図にも記載されていない。標高800mくらいまで登ったところで、道路は突然終わっていた。案の定、道路整備工事を行っている最中であった。しかし、この道は、いったいどこへ行くために整備しているのかは、最後まで不明だった。地図上にも主だったポイントは無い。強いて言えば、日道沢を渡って、向こう側の尾根の林道に続けるつもりなのかもしれない。

 道路の終点近く、眺望の良いところから、姫川方面を望んでみた。あいにくの曇り空であり、小雨のぱらつく天気であったが、栂池高原の先に白馬岳を見ることができた。ここに立つと、糸魚川街道からの車の音や姫川の流れの音がかすかに聞こえてくる。静謐な廃村見学の後だけに、なんだかほっとしたような気分になった。


写真6:日道沢上から姫川方面を望む (継ぎはぎパノラマ写真)
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