関東村跡地(2003年03月) |
1965年のオリンピック開催と同期して、当時東京代々木にあった米軍施設と住宅(通称ワシントンハイツ)は選手村として使用されることになった。このため、米軍関連施設は、府中基地周辺と調布飛行場周辺に移転されることになる。関東村は、調布飛行場近辺地域に移転してきた米軍施設や住宅を総称して付けられた名称である。 ところで、調布飛行場は、かつては旧帝国陸軍の帝都防空部隊基地であった。敗戦後、米軍に接収され、昭和47年(1972年)に返還された後、民間航空会社の飛行基地として使用されている。関東村は、その調布飛行場の北側、西武鉄道多摩川線の多摩駅近くに位置している。
住所は東京都府中市朝日町3丁目、Google Maps上での位置は、下記の通り。 |
関東村は東京外国語大学府中新キャンパスの北側に隣接した区画で、周囲はフェンスで覆われているため敷地内に入ることはできない。少し前の地図を見ると、この区画内には14棟ほどの建物があったようだ。現在は再開発が進められており、区画の一部は取り壊しも始まっているようだ。また、人見街道から甲州街道へ抜ける道が新設され、道沿いには武蔵野の森公園が造成された。 関東村跡地は府中基地跡と比較すると規模的にもかなり小さいが、敷地内の区画、建物の雰囲気、消火栓や街灯の形など一見して共通しているところも多い。現在残っている廃屋は、いずれも敷地内の奥に位置しているため、その詳細を把握することはできない。 |
写真3.敷地内に残るかなり大きな住宅跡。広いバルコニーが付いた2階建ての建造物である。 |
写真3B.写真3に掲載した建物のアップ。窓枠は全て外されているように見えた。建物の壁面にツタなどは生えておらず、保存状況は比較的良さそうである。 |
写真4.敷地内に設置されている消火栓の跡。消火栓の形と色は、府中基地跡の敷地内に施設されていたものと同一である。 |
写真5.敷地の西側、朝日町通り沿いの敷地内部。道路もしくは広場として使用されていたようで、アスファルト舗装が施してあった。 |
写真6.敷地内中央部にある廃屋。基本的な造りは写真3に示したものと同一タイプと思われる。2階建ての建物で、広いバルコニーが付属する。 |
写真7.東京外国語大学側の道路に面した廃屋。この道路は再開発に伴い、最近作られたもの。関東村の中では、この建物が一番近くから見ることができる。2階建ての機能的な住宅。窓枠は全て取り外されている。 |
写真8.住宅内部。部屋の奥には玄関の入り口が見える。右側の部屋の奥には、おそらくバスルーム等があると思われるが、詳細は不明。部屋の中には造りつけの家具類は一切無い。保存の状態は、思った以上に良い。 |
写真9.別の部屋の内部。各部屋の造りは基本的に同一となっているようだ。 |
写真10.建物壁面に生えたツタ。関東村の廃屋は、府中基地跡と比較してツタの量が少ない。壁面に伸びたツタには、一種幾何学的な面白さがある。 |
写真11.夕暮れに沈む関東村廃屋。 |
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